しずかに、せいじゅくしていく、くうきにひたりたい

あらゆる物事が、仮想空間にアップロードされたとたん“コンテンツ”として消費されていく。

あらゆる物事が、最適化の名のもとに不合理で不都合なものになっていく。

見ているのか、見せられているのか。望んでいるのか、望まれているのか。嬉々(きき)とさせたいのか、嬉々としたいのか。

送りてと受けての距離感、関係性が曖昧な世の中だ。人はいくつもの顔をもっている。さまざまなデバイスやアカウントをつかうたびに、それらでコミュニケーションをとるたびに、その“顔”は裏ごしされた食材のように、ボロボロと、あるいはドロドロと、無限に増えていく。

何かに急かされるように、ことばをつむぐところからはなれたい。誰かの役にたつためにことばをつむぐところからはなれたい。誰かの得するためにことばをつむぐところからはなれたい。誰かを喜ばすためにことばをつむぐところからはなれたい。

狙ったままの声はきらい、裸のままの声がいい。

あらゆるところからはなれ、図書館にこもるように、海をながめるように、山をあるくように、畦道にこしかけるように、孤独なじかんのなかで湧いてでてくるものを手ですくいたい。

そんなことばをここではつむいでいたい。

@kosuke_handa
陸の孤島、温暖な気候、ガラパゴスな文化が育まれた宮崎県で暮らしています。思索にふけったり、執筆したり、走ったりな日々。ここでは未然形なことばたちを、とっさのメモをとるようにして綴っています。