あらゆる物事が、仮想空間にアップロードされたとたん“コンテンツ”として消費されていく。
あらゆる物事が、最適化の名のもとに不合理で不都合なものになっていく。
見ているのか、見せられているのか。望んでいるのか、望まれているのか。嬉々(きき)とさせたいのか、嬉々としたいのか。
送りてと受けての距離感、関係性が曖昧な世の中だ。人はいくつもの顔をもっている。さまざまなデバイスやアカウントをつかうたびに、それらでコミュニケーションをとるたびに、その“顔”は裏ごしされた食材のように、ボロボロと、あるいはドロドロと、無限に増えていく。
何かに急かされるように、ことばをつむぐところからはなれたい。誰かの役にたつためにことばをつむぐところからはなれたい。誰かの得するためにことばをつむぐところからはなれたい。誰かを喜ばすためにことばをつむぐところからはなれたい。
狙ったままの声はきらい、裸のままの声がいい。
あらゆるところからはなれ、図書館にこもるように、海をながめるように、山をあるくように、畦道にこしかけるように、孤独なじかんのなかで湧いてでてくるものを手ですくいたい。
そんなことばをここではつむいでいたい。