阪神大震災から29年

kotohanokoto
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黙祷するためにアラームを5:44にセットした。

1分ほど布団でまどろんで45分に布団から出る作戦だったがハッと気づけばもう45分になってて慌てて布団から出た。起きる時あるある。

テレビをつけると東遊園地の様子が中継されていた。背景にはルミナリエが設置されているのが見えて、そういや久しぶりにやるんだったなと思いだした。

今までは12月にやってたけど今回は1月に。追悼行事なら1月の方がしっくり来ますわな。

そんなこんなで黙祷してそのまま少しテレビ見て、再び布団に戻る。

そして29年前の今頃は〜と思い出してみる。

当時、住んでたマンションのリフォームが終わりたてで、まだほとんど家具を移動していないマンションに母上と姉上と3人で寝ていた。その日はたまたま父上だけ仮住まいのマンションで寝ていた。

地震が起きた時、当時4歳の自分は地震の存在なども知らなく、母上の証言では

「あれはかじぇだったの?」

と言っていたらしい。

風じゃないよ!地震だよ!!と返事され

母上は慌てて姉上と自分のトレーナーを引っ張り出して着せようとしたが、おそろいのトレーナーだったので、ぎゃあサイズが逆だぁ!みたいなどうでもいいプチアクシデントがあった。

靴箱が倒れていたのを火事場の馬鹿力で起こし(母上が)、開かない玄関扉を体当たりで開けた。(母上が)

お隣さんなんかは、扉が開かなくて閉じ込められてたらしい。

そしてマンションの前で父上が迎えに来るのを待った。

母上は一人で子供を守らなければならなかったのでよくかんがえた心細かったろうな。心細いと感じる余裕すら無かったかもしれないけど。

父上は父上で当時選択に迫られていて

妻子供がいるマンションと、父上の実家は隣の市にあり、その時父上がいた仮住まいのマンションはちょうど中間地点にあった。

つまり父上からすると、実の両親と、妻子供がいる方向が真逆ということになる。

え〜!!!どっち先に行こう!!!

てなりますわな。こっち先に来てくれたけど。この時後回しにされてたら離婚してた、と後に母上は言っていた。笑

父上と合流し、仮住まいのマンションはとりあえず大丈夫そうなのでそちらに移動することに。

2号線のど真ん中を歩いて向かった。父上は車に乗っている人に、どこどこの道は電線が落ちてて通れない。ということを伝えながら歩いていた。

自分はおぶってもらってましたがとても寒く、どっかの家が火事になっている前を歩いた時、

あったけぇ〜

と思った記憶がある。怖さや残酷さはまだわからなかったので。。

そんなこんなでマンションまで辿り着き、父上は祖父母を迎えに行った。家は昔ながらの木造なので半壊だったけど、皆無事でした。

などなどを思い出しながら( ˘ω˘ )スヤァ…

二度寝につきました。