2023.8.29
編入してからはずっと没入について考えていた。 初観劇作品『密やかな結晶』で体験した自分と舞台の境界線がなくなる瞬間を味わったからだ。
だから卒論も自分なりの没入について書こうとするが、自分が体験した感覚的なものに先行研究などない。 とにかく必死に感じているものを言語化しようとした。というか、どうにか分かってもらおうと話していると大体は先生が言語化してくれて、私ってそんなこと考えてたんだと他人事のように納得していた。
とはいえ自分の考えを深めたくて出会ったのが、杉山至さんのセノグラフィーの考え方だった。私は町と演劇を繋げることに興味があるから、舞台美術の意味を『景』と広げていくことに惹かれたのだと思う。
このセノグラフィーの観点で没入を追求しようと考え、例としてあげたのがチェルフィッチュの消しゴム森とべてるの家だった。
もうここらへんで大体の人がこいつ何言ってんだ…と思い始める頃かと思うが、私もそう思う。でもこれらを繋ぎ合わせて没入について書いたのだからよくやったものだ。
よく先生が言ってくれた。きっとこの卒論は始まりで、答えが見つかるのは10年先、それよりもっと後かもしれない。だからここで答えを出そうとしなくていい。あなたの場合はでたらめでもいい。的なことだったと思うが(半年経つと記憶が曖昧)、意味不明だと見捨てないでいてくれたのは本当に嬉しかったし、この卒論は小嶋そらなんだと言ってくれた時はすっごく嬉しかった。
だから、ずっと考え続けていこうと思う。探しているものを見つけるまで。お芝居をやっていると、君は作るのが向いてるんじゃないかと言われることがある。私も物語や演出を考えるの好きだけど、今は芝居が好きだからもっと上達したいのよ。でもきっとね、答えが見つかり始めたら、両方猛スピードで駆けていく予感がする。それが私のやりたいことだと思う。
なんて厄介で楽しいものに取り憑かれたんだろうね。