耳畑

草間小鳥子
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 満期の便りがあったので、耳を引きうけにゆく。バスに揺られながら、そういえばわたしには耳がなかったと思い出す。はつ秋、日射しはころがるようにさざめいていた。

 停留所から歩くこと半里、てっぺんに火葬場をのぞむ山すその集落。その果てに段々畑がある。肥沃な土壌は、もとより損ないやすいからだの部位を殖やす畑であると秘密裏に口伝される。古くは耳塚があったという話もきくが、さだかではない。

 いちめんの群生する耳。吸音に優れた壁材に囲まれ、玉砂利の畦を踏み分ける音すらないが、三半規管を持たない耳介は沈黙にしんと澄んでいる。はしをつまむと、立ちあがった耳はわずかにぶ厚い。あつらえの骨は老いやすい。年月にすり減るぶん、あらかじめ増してこしらえておく。他人の骨を植えると、耳は立像しないまま融けてしまう。出生時、子どもの欠損に泡を食った縁者が、わたしのいちばんやわらかな部位をとりだし袱紗に畳んでここへ運んできた。……さわがしい幼年だった。せめてこの世にあるたけの音をそそぎ込もうというはからいにより用意された玩具——跨がると嘶く木馬、こぼれるように鳴る硝子玉、つめたい喇叭——音を聞くことはなかったが、すべての玩具のささやきが、いまもゆびさきにのこっている。

 詰所で二、三寸の壷を手渡される。底には、まっさらな耳がぴんと沈んであるはずだ。わたしから培養された、けれど果たしてほんとうにわたしの耳だろうか。ひらかれているようで、もとめる可聴音のみひろうよるべない末端。あまねく音は骨へ響き、深々と渦巻いて染む。見れば、べつの畑がすぐそこにある。剥離した硝子体がしんしんと降り積む標野。遮光網の向こうで、なんびゃく、なんぜんの瞳がまぶしく呼吸をつづけていた。

 玉砂利を蹴散らし、駆け出した。畝の裂け目から焦土が噴き出す。放り捨てた壷が散る音は鳴らなかったが、耳たちがいっせいに飛び立つのを頚椎が聴いた。もろい器官は遮音壁を跨ぎ、雲がさかんな空で遊泳をはじめる。摩耗するつまさき。ほとばしる振動、やまない反射。はかりしれない振幅を、手繰って、手繰って、骨をはぐくむ——。

 畝の終点で幼子から、「目のなかへ入れてしまった光をとりだしてほしい」と打ち明けられる。可視光に謀られない光もまた、眼窩をくぐり骨へ収斂する。幼子は裸足で、すすけた頬はひび割れていた。このよどみないまなざしが人工物であろうと。手を繫ぐことで伝導する五感。わななく夕凪に撫でられながら、いっしんにからだを澄ませる。

はしって はしって

ずっととおくまで いっちゃうの……

 拙い読唇はとらえ損ね、うす明け。ふりあおげばひとすじ、山の中腹から雲を梳いたように立ちあらわれる——葬煙はパッと爆ぜ、遠洋へゆらゆらとたなびいてゆくのだった。

(第27回詩と思想新人賞受賞作品)

@kotoriko
詩人の草間小鳥子です。