手をふる 手をふる

草間小鳥子
·

まだすこし冷たい東風

踏み切りが鳴る

石塀に腰掛け足をぶらぶらさせながら

子どもたちが言い合う

「うし」

「ひつじ」

ややもすると

のっぺりした牛の顔を貼り付けた

二両編成の列車が通りすぎる

「うしでんしゃ」と書かれたラッピング車両

窓から手をふる子ども

手をふり返す塀の上の子ども

互いに相手ではなく別のものへ

より曖昧なものへ合図を送る

列車は速度を緩め

きっかり五分後、終点の駅から折り返す

駅には児童公園があり

遊具広場や白鳥湖や牧場があり

休みの日には園内放送がやまない

「迷子さまのおしらせです」

は何度も聞くが

見つかったという放送はない

事件は騒がしく放り出され

ひっそりと仕舞われる

語られなかったたくさんの

それから

遊具広場の向かいには

ヒマラヤ杉に囲まれたグラウンドがある

グラウンドの向こうには

旧陸軍のトンネルがある

暗いトンネルの向こうには

サイクリングコースがある

二人乗り自転車の後部座席に掛けた子どもたちは

見えないものを追い越そうとペダルを漕ぐが

見えないものはいつだって

子どもたちを追い抜いていった

サイクリングコースの向こうには

石造りの換気塔が見える

換気塔の麓には

緑の鉄扉の錆びた弾薬庫跡がある

谷戸の地形を活かし

人の手で岩を削り

建てられた弾薬庫は三十三基

四五〇人の学徒たちが填薬した砲弾を保管し

鉄道引込線の駅から全国へ運んだ

引込線は往復を繰り返した

終戦後、何基かは湖へ沈み

いま 湖上では足漕ぎボートが行き交っている

「つぎ来るのはひつじかな」

子どもが尋ねる

「またうしだよ」

単線だもの、

塀から鋪道に飛び降りたべつの子どもが目を細めた

踏み切りの先

交差点の脇には慰霊碑があった

一九四四年秋

弾薬庫へ填薬に向かう学徒を乗せたトラックが

将校の車に道を譲ろうとバックして川に転落

六人が溺れ死んだ

慰霊碑はバス停の傍に佇み

浅くなった川はコンビニの横をほがらかに流れている

語られなかったそれから

踏切が鳴る

遊び疲れた子どもたちを乗せ

列車が折り返してくる

ほころびかけた桜の並木道を

のっぺりと牛の顔を貼り付けて

引込線は往復を繰り返した

路線は当時

現在の終点をはるか越え

公園の正門を越え

中央広場のなかほどまで続いた

西側の工場では

弾薬の組み立て、搬入、搬出が行われた

棒地雷の爆発事故があった付近は花壇になり

小学生がチューリップの球根を植える

吹き飛ばされ

ばらばらになった人や馬の上に

血に染まった一面の雪の上に

高台の休憩所からそれを見下ろす女学生の

填薬を終えたばかりの黄色い手のひらの上に

色褪せない花は揺れ

いくつも揺れ

手をふる

手をふる

より曖昧な

でもたしかなものへ

生きています

生きていました

その合図を

すれ違いざま交換する

踏切が鳴る

また牛がやって来る

手をふる子ども

手をふり返す子ども

「お名前の書かれた黄色いトレーナーを着たお子さま」

「うさぎのポシェットをかけたお子さま」

「おそろいのセーターを着たご兄弟」

「迷子さまのお知らせです」

填薬する子ども

水にのまれた子ども

学徒の葬儀で上官は

「このくらいの犠牲はやむを得ない」

と言った

広場を駆け回る子ども

足漕ぎボートの列に並ぶ子ども

トンネルで叫ぶ子ども

ペダルを漕ぐ子ども

花を植える子ども

たくさんの手のひら

語られなかったそれから

引込線は往復を繰り返した

爆風で粉々に砕けた休憩所の窓から

散らばった人や馬のかけらを

やむを得ない犠牲を見つめる鈴なりの顔

特に理由もない子らが

朝から晩まで填薬した爆発物をのせて

遠い場所の

あちらこちらの

特に理由もない人々の

ささやかな人生の

頭上へ 足下へ

引込線は往復を繰り返した

手をふる子ども

手をふり返す子ども

生きています

生きていました

あなたも

あなたも

そしてわたしは

終戦後、弾薬庫は米軍に接収され

用済みになった弾薬は海に投棄された

遠ざかる黙祷を飲み込んで海は

たおやかに波打ち

おそろしさも うつくしさも

ひとしくしずかに錆びつかせていった

後年、公園用地として返還

誰もいない広場を風が渡り

空っぽのベビーカーは並ぶ

いくつも

いくつも

いくつも——

一九六五年五月五日

殺す理由も

殺される理由もなくなり

あたらしく公園が開く日

近隣住民はぞろぞろと列をなし

旧引込線の線路をたどって正門を目指した

分岐点を渡る人々の写真が残っている

後ろ姿で表情は見えないが

レールの上を子どもたちは

両腕をいっぱいに広げ

祈りのように歩いていた

※神奈川県横浜市青葉区「こどもの国」の歴史をもとに構成

@kotoriko
詩人の草間小鳥子です。