源流のある町

草間小鳥子
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実生の葱に

ようこそ、と声をかける子ども

姉の子どもは三人だが実在するのはこの一人

勢いよく鉢に水をやる

流されてゆく芽もあるところは人とおなじだ

「どうして」と誰も言わないだけ

土が水を吸う音

水が土を通る音

わたしたちにも川は流れているのに

末端の支流まで水は迸るのに

聞こえないね、なにも

手を合わせても

頬を寄せても

耳を塞ぐとわたしの川の音がする

きみの水域とは混じり合うことのない

「わたしたちの町には源流があります」

広場の大木 根こそぎ倒れた

「山を切り出した人工の平地では 木の根が弱いのです」

人が造ったものは

拙くて切実で儚い

モルタル、植林、安全柵

「泉は人工物に囲まれています」

「わたしたちは 人と人との人工物です」

(星とコンクリートの違いがわかる?)

わたしたちの町には源流があって

夜を照らすコインパーキングがあって

切実で弱いものが多い

「目の前の尺度で未来を測るから

いつまでも明日が来ない

スマートデバイス 光ったって

資源は掘り尽くしてしまうし

宿題は終わらないだろう

ご覧、園児の列だよ

黄色い帽子で記号化されたナンセンスな数列?

むしろ書きかけの書物だ

きみも それからぼくもね」

振り返らない園児

きみは句点のように靴を脱いでしまう

言い訳ばかりだった ひまわり

朝の膿んだ道を ひまわり 俯いて

ゆるす ゆるさない すこしだけゆるす

こんなパズルはもうやめたい

そつなくこなした振りをして

そうやってうそぶいて

ひまわり

なりたいものにいつまでもなれない

わたしの文字列は美しくない

ひまわり ひまわり

ひまわり 鉄塔だ

遠くにあるからおまえらより低い

白い機体が旋回する

列をはずれた園児が一人見上げる

姉の子どもの名を呼ぶと

黄色い帽子が振り返った

「不明機だよ、」

晴れマークの天気図の隅で

気象予報士は局地的な雷雨の話をした

冠水した鋪道もまた 局地的な湖

スーツ姿の男女も

高い靴の若者も

手をつないだ親子も

湖面の空へ見えない虹をかけ

裾を濡らして駆けてゆく

それぞれのかかと

それぞれのさざなみ

『落ち葉の清掃 そして 焼き芋のご案内』

この接続詞がよい

いらないものをなくす時代

手放す痛みにはもう慣れた?

稼げる土地かと言われれば

どちらかと言うと そうではない

——土には関わりのない話だ

稼げる人かと問われれば

そうでもないが

やはり関わりのない話——

霧を吹く木々

濡れた枯れ葉を抱いては放る

省かれない無駄

持続可能な

手づかみの森のよいかおり

そして

与えられるものに期待しすぎていた

くらぐらと冷たい岩陰から音もなく真水は湧き

源流を辿れば何かが変わるはずだと

すがるように歩いてきたわたしたちは

コインパーキングの自動販売機で買った

一番安い缶コーヒーをすする

「何かを簡単に塗り替えてしまう感情なんて嘘っぱちだ」

きみは力いっぱい空き缶を投げ、

缶は夕映に美しい放物線を描き、

それから草むらに落ちた空き缶を

背中を丸めて拾いに行った

美しい瞬間だけをつないで生きてゆけたらいいのに

「ねぇ、沢蟹がいる!」

辛く名もない時間のなかで稀に見る

みじかい祈りに似た室内光

幼いうたた寝のような一瞬を

「……鋏しかない」

「きっと、からだは食われたんだ」

(この泉には化け物が棲んでる)

耳打ちするきみの声をはくぐもって遠く

いつだって きみは すこしだけ遠いね

声をひそめ

透明な化け物に問いかける

「よろこびに かなしみが縫い合わされているのは なぜ」

透けたブラウスをはためかせ

土手に腰を下ろした姉は

巨大なサンドイッチにかぶりつくところだった

どうしたの、

声をかけると

「憶測をはたらかせて絶望するのはやめたの」

毅然とした態度でピクルスを齧る

どう?

と聞くので

いいと思う、

答えると

でしょ、と鼻を鳴らし

がぶがぶとサンドイッチを平らげてしまった

実在の子どもを連れていない姉は

何かが足りないように見えたが

足りないものは目につきやすく

目の前にあるものは

常にあるものとして扱われる

不思議だ

誰もここに川が流れていることを疑わない

春だから 春だから 春だから

けだるい風

@kotoriko
詩人の草間小鳥子です。