実生の葱に
ようこそ、と声をかける子ども
姉の子どもは三人だが実在するのはこの一人
勢いよく鉢に水をやる
流されてゆく芽もあるところは人とおなじだ
「どうして」と誰も言わないだけ
土が水を吸う音
水が土を通る音
わたしたちにも川は流れているのに
末端の支流まで水は迸るのに
聞こえないね、なにも
手を合わせても
頬を寄せても
耳を塞ぐとわたしの川の音がする
きみの水域とは混じり合うことのない
*
「わたしたちの町には源流があります」
広場の大木 根こそぎ倒れた
「山を切り出した人工の平地では 木の根が弱いのです」
人が造ったものは
拙くて切実で儚い
モルタル、植林、安全柵
「泉は人工物に囲まれています」
「わたしたちは 人と人との人工物です」
(星とコンクリートの違いがわかる?)
わたしたちの町には源流があって
夜を照らすコインパーキングがあって
切実で弱いものが多い
*
「目の前の尺度で未来を測るから
いつまでも明日が来ない
スマートデバイス 光ったって
資源は掘り尽くしてしまうし
宿題は終わらないだろう
ご覧、園児の列だよ
黄色い帽子で記号化されたナンセンスな数列?
むしろ書きかけの書物だ
きみも それからぼくもね」
振り返らない園児
きみは句点のように靴を脱いでしまう
*
言い訳ばかりだった ひまわり
朝の膿んだ道を ひまわり 俯いて
ゆるす ゆるさない すこしだけゆるす
こんなパズルはもうやめたい
そつなくこなした振りをして
そうやってうそぶいて
ひまわり
なりたいものにいつまでもなれない
わたしの文字列は美しくない
ひまわり ひまわり
ひまわり 鉄塔だ
遠くにあるからおまえらより低い
*
白い機体が旋回する
列をはずれた園児が一人見上げる
姉の子どもの名を呼ぶと
黄色い帽子が振り返った
「不明機だよ、」
*
晴れマークの天気図の隅で
気象予報士は局地的な雷雨の話をした
冠水した鋪道もまた 局地的な湖
スーツ姿の男女も
高い靴の若者も
手をつないだ親子も
湖面の空へ見えない虹をかけ
裾を濡らして駆けてゆく
それぞれのかかと
それぞれのさざなみ
*
『落ち葉の清掃 そして 焼き芋のご案内』
この接続詞がよい
いらないものをなくす時代
手放す痛みにはもう慣れた?
稼げる土地かと言われれば
どちらかと言うと そうではない
——土には関わりのない話だ
稼げる人かと問われれば
そうでもないが
やはり関わりのない話——
霧を吹く木々
濡れた枯れ葉を抱いては放る
省かれない無駄
持続可能な
手づかみの森のよいかおり
そして
*
与えられるものに期待しすぎていた
くらぐらと冷たい岩陰から音もなく真水は湧き
源流を辿れば何かが変わるはずだと
すがるように歩いてきたわたしたちは
コインパーキングの自動販売機で買った
一番安い缶コーヒーをすする
「何かを簡単に塗り替えてしまう感情なんて嘘っぱちだ」
きみは力いっぱい空き缶を投げ、
缶は夕映に美しい放物線を描き、
それから草むらに落ちた空き缶を
背中を丸めて拾いに行った
美しい瞬間だけをつないで生きてゆけたらいいのに
「ねぇ、沢蟹がいる!」
辛く名もない時間のなかで稀に見る
みじかい祈りに似た室内光
幼いうたた寝のような一瞬を
「……鋏しかない」
「きっと、からだは食われたんだ」
(この泉には化け物が棲んでる)
耳打ちするきみの声をはくぐもって遠く
いつだって きみは すこしだけ遠いね
声をひそめ
透明な化け物に問いかける
「よろこびに かなしみが縫い合わされているのは なぜ」
*
透けたブラウスをはためかせ
土手に腰を下ろした姉は
巨大なサンドイッチにかぶりつくところだった
どうしたの、
声をかけると
「憶測をはたらかせて絶望するのはやめたの」
毅然とした態度でピクルスを齧る
どう?
と聞くので
いいと思う、
答えると
でしょ、と鼻を鳴らし
がぶがぶとサンドイッチを平らげてしまった
実在の子どもを連れていない姉は
何かが足りないように見えたが
足りないものは目につきやすく
目の前にあるものは
常にあるものとして扱われる
不思議だ
誰もここに川が流れていることを疑わない
春だから 春だから 春だから
けだるい風