これって暴力映画ですよね?北野武が監督やってる血なまぐさいやつよりも、明確な「暴力」の匂いがしたんですが……。
開始10分で鎧塚みぞれさんの自己紹介が終了します。
鎧塚みぞれさんはとても内向的な方で、常に「世界」と触れてるような感じの人間です。たぶん同級生に「今の聞いてた?」って何回も言われてるタイプだと思います。
彼女の世界にほとんど人間は存在せず、目の前にある階段や、窓や、日差しに目が向けられています。彼女は傘木希美さんのことが好きですが、実は彼女の顔自体は他の人間より見ていない気がします。むしろ後姿の方が見てる時間長いんじゃないでしょうか。希美さんを構成する要素を部分部分で感じとっていて、例えば音楽室に向かう階段で反響する足音とか、機嫌良さそうに揺れ動くポニーテールだとか、こっちに振り向いた時に目に入る腕時計と、それが巻き付いた手首とか。歩き方や姿勢も対照的なふたりですが、望さんは上に重心があり小鳥のように弾むような縦のライン、みぞれさんは下に重心、視線も横に行きがち、瞳も横向き寄り。キャラクターデザインと言っても良いのですが、見た目や癖って面白い。
そんな二人が音楽室に行くまでが冒頭ですが、ここまでの情報量が、ヤバ過ぎる。脳に直接USB差し込んでダウンロードさせられてる気分です。いつものように希美さんを構成するひとつひとつの動きや音を丁寧に拾うみぞれさん。
学校の中に入るとわかりやすい「人間関係」が見えてきます。ここでは男子は話に必要ないので登場しない。(ちなみにユーフォニアムの男子は良いキャラです)主に女子同士のコミュニケーションが主になります。気軽に交わされる好意のことば。しかしみぞれさんにとっては全く別の意味を持つ、重い重いことば。ことばに重みがあるからこそ、彼女は気軽に告げることもないわけです。薄い、綿のような好意がふわふわと交わされる女子の空間。そこに馴染めないみぞれさん。「好き」という言葉に棘を刺されたかのように反応してしまう。希美が他の事柄でも人間でも、「好き」という度に彼女の心は蝕まれる。希美が「好き」を向けるものがうっすら嫌い。自分はそれになれないから。希美から繰り返される「好き」の言葉がずっと他のものに向いている。気に食わなくて仕方ない。他者との関係をうまく築けないが才を持つみぞれ。たくさんの人間と関われるが、ほんとうに欲しいものはみぞれが持っている満たされない希美。ちょっと違うけどユーリON ICEを思い出します。あれは致命的に噛み合わない部分を持ってる二人が、力業で二人三脚するすごい作品でしたね。あまりにもパワープレイでねじ伏せて来たので、妄想する余地があまりありませんでしたが。希美とみぞれの関係の話に戻りますが、二人がコミュニケーションを取れているかと言うと、まったく取れてない気がします。仲が良いのは嘘ではないのですが、あれだけ近くにいてもお互いまったく別のものを瞳に映している。ガラスのような、恐ろしい関係性……だからこそ、美しいのかもしれませんね。
ヲタクは相互理解できない二人を一生擦るのが大好きですから。
(シメが最悪~)