盆のこと

koya
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公開:2025/8/17

盆に墓参りをしにいった。

特に変わりのない、一般的なお盆を過ごした。母と叔母のする祖父母の思い出話を聞いて、彼らに思いを馳せた。

そこでふと、私は祖父母の家に行きたくなった。

祖父母の家は今人が住んでいない。叔母が相続して仕事場として活用している。行ってもなにもすることはないため、数年前にリフォームした時に見に行って以降訪れていなかった。

叔母に頼んでお寺に行く前に寄ってもらい、久しぶりに祖父母の家に足を踏み入れた。

リフォームされ、叔母の仕事場になった家は、幼い頃の盆と正月を過ごした“おばあちゃんち”とは違うものになっていた。微かに残っていた祖父母の気配はもうそこにはなく、“叔母の仕事場”になっていた。

縁側から庭に出る。庭は家を建てる時に祖父がこだわってレイアウトしたと聞いたことがある。その時の配置を活かしたリフォームをしたためか、庭には昔の面影があった。

この庭は、わたしにとって思い出深い場所だった。

盆に帰ると、祖父と一緒に家庭菜園のミニトマトを収穫していた。毎年ザルいっぱいのミニトマトが採れていた。それをおやつとして食べたり、その日の夕食のサラダにしてもらうのが好きだった。

私は昼寝ができない子供だった。朝からめいいっぱい遊んでもちっとも眠くならず、兄弟や大人たちが疲れて昼寝をしている時は決まって一人で遊んでいた。それを知っていた祖父は私を連れて犬の散歩に行ったり、公園に連れて行ってくれたり、庭で一緒に草取りをしたりと私に付き合ってくれていた。ミニトマトの収穫もそのうちのひとつだった。

帰省のタイミング的に盆に収穫するため、トマトは決まって完熟。ものによっては熟しすぎて触るとプチっと潰れてしまうくらいだった。それをそっとつかんでヘタから外してカゴに入れる。潰してしまったらそのまま食べてしまう。それがすごく楽しかった。幼い私には大きすぎる祖父の麦わら帽子をかぶって、さんさんと降り注ぐ日の光浴びていたのをよく覚えている。

祖父が病床に臥し、庭の管理をする人間がいなくなったらミニトマトの畑はたちまち枯れてしまった。家庭内は混乱を極め、ミニトマトのことなんて忘れてしまっていた。

まもなく祖父が亡くなり、しばらくが経った高校三年生の冬。さまざまなことがひと段落したため、リフォーム前に遺品整理と庭の雑草掃除の手伝いをしに祖父母の家に行った。母と叔母が細かい遺品整理、私と兄弟は家具の移動や庭の雑草取りなどの力仕事をやることになった。

雑草取りは冬だったので草たちは軒並み枯れていた。思っていたよりも簡単に草が抜けるので一度ざっくりと草を抜いてから集めて捨てようということになった。

その時にふと家庭菜園のことを思い出し、ミニトマトの植わっていた場所を見に行った。予想通り枯れ果てており、支柱として刺さっていた竹は朽ちてバラバラになって地面に散らばっていた。

それを見て、私はやっと「祖父は死んだんだ」と実感した。約6年経ってのことだった。

枯れ果てたミニトマトの茎を掴んで引っ張ると、あっけなく抜けた。どこもかしこも乾燥して、少し力を入れるだけでぽろぽろと崩れてしまう。「諸行無常」という言葉が頭によぎったのを覚えている。

それから4年。ミニトマトが植わっていた場所にはちいさい雑草がちらちらと生えていた。葉の形からしてナス科のものではない。ここにはあのトマトの息吹はもうないんだと思った。

時間もなかったので滞在時間15分くらいで切り上げ、車に乗りってお寺へむかう。その道中、窓の外を眺めていると、犬の散歩ルートの途中にあった幼稚園や、公園。祖父に連れられて行った盆踊りの会場だった区民館が見えた。

その時に、あのミニトマトは祖父の“愛”だったんだと気がついた。

盆に帰ってくる孫のために一年コツコツと世話をして、はじけてしまうくらい熟しても収穫しないでおく。幼い子供だから収穫の効率だって悪い。それでも祖父は付き合ってくれていた。

私が一人で遊んでいるのを知って、遊び相手になってくれた祖父。本当は家の誰よりも歩くのが早いのに幼い私の歩幅に合わせて散歩をしてくれていた祖父。

“愛”とはなにかとずっと考え続けていた。何をもって愛と呼び、何が愛なのか。歪んだ家庭で育った自覚はある。友人関係に恵まれていたとも言えない。兄弟仲だって悪い。強い憎しみと怒りで突き進んできた人生だった。ずっと自分には縁遠いものとして“愛”を描いてきた。

そう思っていたけれど、実際はすぐそばにあった。私が気がつけていなかっただけだった。

今、私は祖父と話がしたい。精神が成熟した今、ちゃんと話がしたい。それは現世では叶わない願いだけど、いつか私があちら側へ渡った時に叶えばいいなと思う。

その場所が極楽浄土なのか地獄の底かはわからないけれど。