そろそろ落ち込みスイッチが入りそうな気配がする。たのしかったことは新鮮なうちに書いておくほうがいい。
毎日布団の構成に悩んでいる。たいていは羽毛布団なのだろうか? 羽毛布団を使わない家庭だったので、基本的に羽毛布団を使ったことがない。ある程度重さがないと寝られないので、夏用布団と毛布とガーゼケットと…などと毎晩最低気温を確認しながらいろいろ組み合わせている。Nウォームの毛布はとっくに出していたのだが、週末の寒気で冬用布団を出すかNウォームのシーツを出すか悩みに悩み、布団は使う前に一回干したいと思って結局Nウォームのシーツを出した。せっせと寝具を用意しながら「起請文を吐くのはつらいが……Nウォームはあたたかい~!」が頭のなかに浮かぶ。長沼どの…。清水さんとらつばにも出ていてうれしかったな。(鎌倉殿のはなし)
というわけでお友達と予定していた野草園さんぽに行ってきた。水辺や雑木林などいろんなエリアに分けられているのは事前に調べて知っていたが、園内の木々や草花のひとつひとつに名前の立て札が配置されていて、とってもありがたかった。特に今時期は咲いている花も少ないし、木の名前は特にわからないし。吾亦紅があって、花は散っていたが、季語としてしか知らなかったのでひとりテンションが上がっていた。借景!みたいな庭園もたのしいが、ほどよい山さんぽ感が味わえてたのしかった(ガチ登山は無理だし人の手が入ってない山も無理だ)。だいたい園の外周をひとまわりして広場に出ると、秋晴れのかわいたよい日差しで、おさんぽ日和を全身で感じる。お友達はクヌギの実を拾っていた。クヌギの実は帽子がふさふさでかわいい。ちょうどよい時間だったので丘の上のベンチでお昼を食べる。がっつりピクニック装備をしている人もいれば、カメラを何種類も担いでいる人、並んでただおしゃべりしている人、広場とどんぐりだけで爆発的に盛りあがっている小さい人たちと、老若男女クィア勢ぞろいだった。朝は寒くて薄手のトレンチコート(もう7年?くらい着ていてほぼ雨合羽代わり)を着ていたが、日中はぽかぽか陽気で、セロトニン生成しろ~と思いつつ伸びをしたり、わたしたちも他愛のないおしゃべりをした。そういえば2人とも色味も素材も違うが、ハイネックのインナーにシャツにベストに幅広のパンツ、そしてキャップという似たような格好をしていた。

反骨装身具通信がほしかったので、仙台の古本屋兼カフェである火星の庭へゆく。入口に置いてあったのでさっそくもらって店内をちょっと見てまわり、それぞれ飲み物を頼む。お友達からうれしい話を聞き、うれしくなる。フェミニズムの本をプレゼントしたお友達だが、フェミニズムはあくまでツールだとわたしは思っていて、自分のためにどんどん利用したらいいと思っている(ツールであるから、使い方しだいでは容易に差別に利用もできるし、「この人なら『絶対』大丈夫」もない)。わたしはあくまでフェミニズムに触れるとっかかりをほんの少し手伝っただけだが、そのお友達が、自分が嫌だと感じたことを嫌だと認識して相手にきちんと伝えたり、フェミニズムを勉強中でと話したりと、行動したことをいろいろ聞いて、やっぱり尊敬できるお友達だなあと思う(出会ったときからそうだ)。そういう話を聞かせてもらいながら、わたしは猛烈大掃除でのくだらない話をだらだら聞いてもらう。ありがたい。自分の状況を知っているお友達相手でもあるから、なんかすごくべらべらしゃべっていた気がする。街中はやはり音の質が違くてストレス度が高かったが、野草園で小さいひとたちの大きな声を聞いても平気だったし(普段は大きな声は苦手だが、この日はおもしろくて逆に聞いてしまった)、多少は社交モードも入っているのだろうが、薬のよい影響なのか、軽そう的(不確定なのであまり専門的な言葉を使いたくはないのだが、他に言い方が見つからないので使っています)なやつが続いているのか、どうなのかはわからない。それからもう一度店内を見てまわり、前回来たときに見つけていた古~~~いカバー欠の芭蕉七部集を、せっかく山さんぽしてきたあとなのだから…と買うことにする。架け橋さんのハトのブローチが入荷していたのと、藤岡拓太郎さんのパレスチナ支援のポストカードも置いていたので一緒に購入した。高橋美香さんの写真展のチラシもいただいて、店を出る。お友達もハトのブローチを買っていて、帰り道にさっそくバッグにつけていた。
帰りのラッシュ直前だが学生多めの電車に乗るとどっと疲労がのしかかってきて、ノイキャンイヤホンをつけて、芭蕉七部集を開いて、雑踏から身を守るために一文字一文字を追う。きちんと鑑賞する・技巧を知るためには他にまず読んだり学んだりすることが山ほどあるなあと思いつつ(当然だろうが!)、連句のさらりとした手触り(読み触り?)が、疲労の帰路には合っていて安定剤的な役割になっていた(半分寝てたけど)(ごめん俳聖…)。というか頓服もらっていたのだから飲んでおけばよかったと今さら気づいた。

おわり