2024/5/4

koyoko
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注意:自殺願望についての言及があります。気になる方は無理しないようにお願いします。


先日ASDと診断を受けた。経緯などは書かない。そこでおすすめしてもらったサラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(堀越英美訳、河出書房新社)を読んでいて、なんとなく、あ~今読んでよかったかも~と思った部分があった。せっかくなので書いておきたくなった。

もうすぐわたしの誕生日だ。誕生日は正直どうでもいいと思う一方で、祝われるのはうれしいので当日はSNSで浮かれたことを投稿しているかもしれない。年齢は念のため個人情報なので書かない。ただ今年は区切りのいい年のため、わたしは数年前から今年になっても周囲の同年代のように「ちゃんと」働けず、「ちゃんとした」人間関係も築けないなら死のうと思っていた。どうせ行動には移せないのだが。(文字にすると内なるマチズモと極端な白黒思考が心底嫌になる)

『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』にはASD女性が抱える不調についてまとめた章があり、自傷行為や自殺願望の記述もあった。この本にはさまざまなASD女性たち、もちろんトランス女性も含まれるし揺らぎのあるひともさまざまいて、そのひとたちから寄せられた経験の語りが載っている。わたしの目に留まったのは、あるASD女性の自殺願望についての語りだ。

二五歳にまで幸せになれなかったら、自殺しようと心に決めていたのを覚えています。幸せになるための手段や計画はまったく考えていませんでした。これまで何度も自殺を考えたことがありましたが、実際に自殺を試みたことがあるわけではありません。自殺を考えるときは、周囲の人のトラウマを最小限に抑えるという観点から、計画を立てました。たとえば、知人ではなく警察が私の遺体を発見できるように、警察に知らせる手紙を書くといったようなことです。(ASD女性)

『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』p.295

年齢こそ違うが(しかし25歳のわたしもものすごく死にたかった)、これわたしだ! と思った。死にたいが、わたしの場合は母が心配なのでどう遂行するのがよりよいかいつも考える。死にたい気持ちでいっぱいなときは、真夏の雨上がりの高温と湿気のような「死にたい」が体の内側から外側までべったりまとわりついて息もしにくくて身動きが取れない状態なのに、なぜか頭の片隅のさらに片隅はほんのり冷静で、引用のような作戦を考えているのだ。しかし、だいたいそういうときは具合が悪くて本当に身動きが取れないのでその作戦は実行には移さないし移せない。

これ以上詳しく書くのは憚られるので書かないが、なぜこの文章を書いているかというと、自分と似た(決して同じではないし、重なると言っていいのかもわからないが)経験の記述を見て端的にうれしかったからだ。特にこういった話題だと、親しい人とも話したくはないし、インターネットでは見かける機会が多くても距離感が掴みにくい(でも弱音吐いたとき励ましてくてるひといつもありがとう)ので、本という媒体を通して発見できたということがうれしかった。この記述に至るまでに、他の点でも(今まで自覚はなかったけれども)ASDという経験を通して自分と同じだと思える部分が未だかつてないほどたくさんあり、それらを踏まえたうえでの共鳴?共振のような感覚ははじめてだったから、とても励まされたのだ。おすすめしてくれた方ありがとうございます。何かいいことがありますように。ちなみにわたしの最近あったいいことは、運よく林芙美子と夏目漱石の全集の一部をただでもらったことです。

死にたいという衝動やその原因となっている不安などは、薬を処方されてもまだまだ消えないのだろうし、おそらくはこれからも共存していくことになるのだろうが、とりあえず今年の誕生日も生きておこうと思った。内なる(内ならずとも)マチズモも自己責任社会もくそくらえである。視界の端で寝ている老犬が寝ながら走り始めた。わたしも本読んでからくたくたのタオルケットにくるまって昼寝したい。