2024/8/31 (アセクシュアル今日の装い)

koyoko
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公開:2024/8/31

体調もなにもかもが具合悪いと全然ニュースが追えない。今日行ったスーパーでは米売り場がニュースで聞いたようにすかすかだった。前回の日記は偶然、秋らしい身の回りの風景のひとつとして稲穂を挙げたが、実際黄色の田んぼが延々広がる一方で、例えば道路向かいでは荒れた休耕田も同じくらいある。そういう風景の中を通って一山越え、たいていは買い出しにゆく。(というかどこに行くにも一山越える)(しかし今わたしは薬やら事情があって運転できない。地方に住んでいてあれだが正直運転しぬほど怖いのでできれば運転したくはない。しかし地方は車がないと生活できない。ウワーッ(ネンリョの叫び))

たまたま近場で彫刻家の吉田愛美さんという方が個展をやっていると知り、買い出しのついでと行ってみた。以前も書いたが文化芸術に飢えている。本も読めず映画もほとんど観られていないのでなおさらだ。ちょうど吉田さんが在廊されており、鑑賞者はわたしと母のふたりだけで、ちょっと緊張しながら小さな会場を丹念に回った。人体のドローイングと彫刻が中心で、手の彫刻が新作とのことだった。わたしは生きている人間と接するのはめちゃくちゃ苦手だし嫌いだが、肖像画や人物を主題にした絵や写真や作品になぜかとても興味がある。作品越しならば、普段よくわからないニンゲンをよくよく観察できるからだろうか。また、制作者の表現がわたしと作品の間に介在することによって、ニンゲンの生身の圧(?)の角が取れる、あるいは変化するからだろうか。遠回りだが、苦手だから逆によく見てしまうという現象に近い気がする。(虫が苦手な人が見なきゃいいのに虫の存在を意識して探してしまう、みたいなやつだ。ちょっと違うか?)ドリッパーの形をした素敵なカップでコーヒーまで出していただき、胃を心配しつつも、浮かれていたので作品集を見ながらおいしく飲んだ(少量でよかった)。吉田さんとも少しお話させていただき、わやわやしながらもあの作品が好きですと伝えられてよかった(コミケのオタクか?)。

最近彫刻に興味がある。もともと20世紀初頭あたりの写真や写真に影響を受けた作家の絵画が好きだった(師事した先生(わたしが芸術の勉強をかじってみたいと思ったきっかけの先生だ)の専門がこのあたりだからというのもある)。人間は細胞分裂して成長する。(木の)彫刻は木を削って成形してゆく。とっくのとっくに成長期も過ぎたわたし、そして会社に社会にうまく馴染めず調子を崩したわたしが、彫刻に惹かれるのも当然のような気がしてくる。それに彫刻は材質もいろいろで、木だけでも削るだけでなくニスや彩色、その他の作業で多様に姿を変えるのがおもしろい。こういうひとにわたしはなりたい(雑なまとめ)。また、すでに故人で権威を存分に付与された主に男性ジェンダーの作家(往々にして女性や少女の裸体彫刻を多く製作している(裸体像自体の是非を問うてはいない))ではなく、同年代の作家の作品を連続して鑑賞したことも影響しているかもしれない。作品集を一冊購入したのを思い出し今見返したのだが、まえがきの一文目に「私は人体像が好きです」とあって、鑑賞中の「いいきもち」がそよいでいった。他にもいろいろグッズや書籍が売られていたが緊張してあまり眺められなかったので、別の展示にも行ってみようと思う。いい場所を知れた。

ちなみに今日の服は、黒のハイネックTワンピース、シースルーの青いシャツ、真っ青な靴下、黒のスポーツサンダル、黒のショルダーバッグ(I STAND WITH PALESTINEバッジを付けている)、サングラス、END COLONIALISMネックレスだった。アセクシュアル本日の装いである。といっても、服はほとんど組み合わせのパターンをあらかじめ決めているため、変わり映えはしない。ネックレスはようやく完成させたのだが、買い足したつぶし玉のサイズが大きくてボールチップからはみ出ているため手直しが必要だ。やる気があるうちに、余っているビーズで他にも何か作りたい。

※自撮りの正解がわかりません

グレーのマスクをして黒い服を着た人物の上半身。

明日は1日だが、暑くなりそうだしソウルの春を上映している劇場まで行ける元気があるかわからない。新作を観に行けなくても仕方がないと思うのにもすっかり慣れたが、それもTwitterを離れたからかもしれない。本当は行けるならさくっと行きたいのだが。

おわり