「ボディビルダー」原題「MAGAZINE DREAMS」見てきた。【※男性から男性による権威を利用した性暴力の暗示(暗示というかそうだろう)があります。】
これ原題じゃないと通じなくない!?終わりも意味わからないだけにならないか?解釈の問題ではなく、映画は明示している。この広報や宣伝に用いられる「スリラー」や「狂気」を誰に向けて発しているなのか、不安になる(そういうスリルは求めてないんだ配給さん)。もちろん映画のエンタメ性もあるが、が、だ。
「ボディビルダー」は、アメリカ建国から現代に至るまで続く黒人が「受けてきた」歴史と、(たぶん)ボディビルの歴史を重ねた物語だった。こと受動、「(差別を)受ける」≒「審査を受ける/肉体を一方的に評価される」ということが重要なので、ボディビルで日焼けた肌がもてはやされることなども考えると、『ボディビルダー』の邦題や一部広報には非常に不満がある。「黒い肌」がもてはやされる世界と、「黒い肌」が怯えられる世界の狭間の矛盾と孤独を無視して、広報パネルが置かれていることがとても気持ち悪い。(話それるけど、孤独という状態って「矛盾」だなと思った)だって彼の個人的な情報は、映画技法としても彼自身のナラティブとしても、劇中ではフラッシュバック的にしかほとんど示されないのだ。
ボディビルの歴史に加えて、補足としては『野蛮の言説』(かつて万博で展示された「人間」がアフリカンだということを思い出さずにいられない)、『ホワイト・フラジリティ』やドキュメンタリー「13th 憲法修正第13条」とか、ベトナム戦争と黒人、その後発見されたPTSDの関係からも黒人は省かれていないか?とか、インセルが蔓延する背景、もうアメリカ社会の問題全部ですという感じだった。マスキュリニティとマチズモが、脂肪のつきやすい彼の脚の「筋肉」に詰め込まれて破裂しそうだった。
ボディビルにおける「筋肉の美」と「黒人の歴史」に重ねてその美しさ、というか、「美」が握っている権威とヒエラルキー的なものへのアンチテーゼ的なことだと思った。加えて、出てくる黒人の女性も「肉体」を消費されるセックスワーカー(と一瞬過去の母親)のみであることも、ボディビルの要素に重なる。裏返って出てくるのは「白人」である。
祖父との抱擁の涙だけが彼のものであったと思う。マチズモから遠ざかることをフェミニズム的に言うならば、自らの体液すらも含む身体、自分を構成するあらゆるものをばらばらにして、自分の手に取り戻すことだろう。ジョナサン・メジャースは泣くシーンが本当にいいんだよな…
内容が内容なだけに、ジョナサン・メジャースの件はさまざまな点でショックが増す(もちろん被害者が第一である当然)※
観客も画面に美しく映し出される彼の肉体を消費する。出血すら涙すら彼の筋肉を輝かせる材料となる。「MAGAZINE DREAMS」はアメリカンドリームに連なるものであり、すなわち白人の問題である。『ホワイト・フラジリティ』は白人向けに書かれた書籍だが(すでに応答と言われる続刊が出ているが読めていない)、反差別を標榜する者には、『差別はたいてい悪意のない人がする』と一緒に読んでほしい。問題の要素を日本の事象に変えれば、まったく対岸の火事ではない。(対岸どころか、日本はトランプより先に安倍を二期当選させ、現在高市を首相としている。「人権」はまったく浸透していないのに、なんなんだこのねじれは)
本のアクセサシビリティをすっとばしている、現在本が読めないゆえの本読めマッチョで締めます。
※ https://edition.cnn.com/2023/12/18/entertainment/jonathan-majors-trial-verdict
おわり