第三章-p.96
先週から、ずっとたのしみにしていた武川佑『円かなる大地』を読みはじめた。武川さんの作品は、以前歴史好きフォロワーからのおすすめで『虎の牙』を読み(文庫化されているよ)、それから単行本は全部読んでいる。わたしにとっては数少ない作家のひとりだ(書籍化されていない短編もあるけど、短編もおもしろいぞ…!鎌倉殿フォロワーは『怪と幽』2023年1月号収録の「鱗のみち」をぜひ読んでくれーッ!電子版あるはず…)。
作中舞台は和人でいうところの戦国時代の蝦夷ヶ嶋/アイヌモシㇼ、メインの登場人物は壮年のアイヌ・シラウキと蠣崎氏(アイヌと和人の抗争の中で蝦夷ヶ嶋南方の大館の覇権を握る)の娘・稲姫だ。まだ登場はほのめかされている程度だが、これから、ひとつの村を治める無頼の女傑、女真族、恐山の怪僧、そして今読んでいる時点では敵対している稲姫の許嫁までもが協力しあい、和睦のための困難な道のりを共にするという。最初に考えたことは、これは和人のための物語だということだ。しかしそれは、和人に都合のよい物語という意味ではない。和人がアイヌを蔑み、虐げ、生活を、尊厳を奪い続けた歴史、それは決して昔話ではなく今現在もなお形を変えながら続いているということ、エンターテインメントは「消費」と切り離せないが、それを承知のうえで、マジカルマイノリティとしてではなく、アイヌとアイヌの文化や生活を尊重し、和人の加害を記し、そしてマイノリティ性を負わされている他の登場人物たちとのおそらく一筋縄ではいかないだろう共闘(仮にマイノリティ性に共通項があったとしてそれだけで簡単に仲良くなれるわけない、当然だ)と、その末に待つ和睦が描かれるのではないか、と思った。まだ読みはじめであるし、わたしは武川さんの作品が大好きで期待を押さえきれないまますでに贔屓目で書いているところもあるが、きっと期待は裏切られないと思う。ただ、アイヌやマイノリティへの差別描写、性暴力表現への注意書は本の最初に書いていてほしかった(挟まっていたハガキに書いて講談社に送ります)。加えてちょっと話がそれるかもしれないが、アイヌがアイヌのためにアイヌを描くこと、表現することについて、頭の中をぐるぐる巡っているので、『美術手帖』2024年7月号のマユンキキさんのインタビュー記事をリンクしておく(ネットは有料記事ですが)。
これを書いているのは19日で、予報通り寒い朝だ。でもまだ年明け~2月くらいの土地全体が冷え切った状態で感じる、布団を出たときのあのヒヤッ感がないだけましだった。あたたかいお茶がいっそうおいしい。
17日は散歩をした。蚤の市的なイベントがいつもの散歩ルートの近くで開催されていたので、早めに家を出て、いつもより遠回りで歩き回った。あたたかい日(昼には暑いくらいだったが)だったからか、人間が勝手に馴染みと思い込んでいる猫さんも外で日光を浴びていた。ちょっと撫でたらお尻を叩けという感じになったのでお尻をぽんぽんさせてもらった。そうしたらごろんと寝転がり、人間は愚かにもお尻ぽんぽんを続けたら、違う!と怒られた。気がつかなくてすみません。寝転がったときは頭を撫でるとよいらしい。それを何度かくり返し、お互い満足して別れた。
蚤の市的なイベントでは、割と近場にあるという古本屋カフェを知れてよかった。移動式書店のペンギン文庫(店舗は山形にあります)の委託販売もされていたので、節約節約…と思いながらも(切ねえ…)ぶらぶら眺めていたら!なんと通販のタイミングを逃していたミノリトが売っていて!!!こういった本を手売りで買えることの喜びがたまらなくて即座に購入した。地方に住んでいるとだいたい通販で、節約期間ということとクレカ入力が億劫(カードの不正利用があって以降カード情報を保存していないため。あとカードの金銭管理が難しい)ということがあいまって買えていなかった。うれしかった…。しかしわたしもこの場に来るのにある程度の移動が必要ではあるが、こういう委託販売先などがあるだけましなんだよな、とも思う。
いろいろ気を張っているためなんか生理前にしては元気な感じがするが、予定が終わって年末年始(文字だけで憂鬱になれる)に向かって気が抜けて調子を崩しそうでこわい。生きのびてほしいひとたちがいるのでわたしも生きのびたい。(と思えるだけ昨年に比べたらまし、と思いたい)
おわり