だいたい3日前くらいからのことをだらだら書きます。
道端にいが栗がごろごろ落ちていて、萩の花が淡く枝垂れているな~秋だな~とぼんやり思っているうちに、彼岸花が一気に咲き出していて驚く。散歩道のドウダンも紅くなってきていて灯台(ドウダン)だなあと思う。今年は薬のおかげかわからないが、扇風機が埃まみれになる前に早々に片付け、寒くて寝れないと感じたらすぐ冷感シーツをしまって毛布まで出し、こんなにてきぱき動いているのは人生で初めてなのでは?(毎年扇風機はヒーターとしばらく並んでいたし、寒いのになぜか冷感シーツのまま寝ていたりしていた)とか1人でほんのちょっと(本当にちょっと)感じ入っていたらまた暑い。もう彼岸も終わったぞ。さっさと秋の句詠んどいてよかった(?)SDGsを謳う企業や政府は戦争や軍事関係の二酸化炭素排出量や環境への影響にもっと言及してほしい(人命は前提も大前提だ)。というかするべきだ。
夏の暑さとは違って秋の暑さなだけましだが、そのぶん朝晩の冷え込みが堪える。わたしの自律神経の調整機能のぼんやり具合を舐めるな、というわけでめちゃくちゃ具合が悪い。お友達と会ったあとあたりから今月前半の過活動の反動もあるのか、落ち込みも激しい。急に漬物石でも背負わされたような感じだ。わたしは人生のユウウツを地道にため込んできたので、実際鬱積で漬物になりそうだ。特別に何かきっかけがあるわけでもなく季節とともにユウウツとネンリョはじわじわ背後に迫っていて(あと政治のせい、本当に)、ふと気が付くと漬物石が背中にどっしり圧し掛かり、その猫背のまま自分の中の深淵を延々見つめることになる。内面ばかりに目が向いていたらそりゃあ具合悪くもなる。一昨日カウンセリングに行き、また今こうして文章化していてようやく「そりゃそうだわ」と思った。1週間は本当にろくなことができてなくて、1日横になってスマホを見るでもなく寝るでもなく「無」状態だったりした。犬が生きているのでなんとかなっていた。犬は日がな一日寝ているが、呼吸に合わせてゆっくりお腹が上下しているのを見ることができるだけでどうにかわたしも「だいじょうぶ」になれる。あと睡眠がうまくできないこともおそらく不調の原因になっている。就寝前の薬が変わったが、寝れないせいで日中寝てしまうループに入ってしまったせいでまだ効果はわからない。出先でも不安でワーッとなることが増えたので頓服ももらった。頓服はもっとはやく貰えばよかったのだが、そろそろ精神科に通いだして半年経つのに、まだ自分の状態を「不調」と訴えていいのかわからない。さんざんここで不調の話をしているのだが、診察室やカウンセリング室で自分の話をして、医者や心理士さんから「〇〇で困っているんだね」的に確認されると、毎回頭を傾げて語尾にクエスチョンマークをつけ「そうですね?」と変な答え方をしてしまう。それだと相手が困るのでそうらしいと思ったらなるべくはっきり答えるようにはするのだが、便宜上と言う感じで、はたしてそれもお互いによくない気もする。よくよく考えると昔からこんな感じだった。あいかわらずわからないことの話をしている。自分の状態が周囲の人間に迷惑をかけたり気を遣わせることになる、というのが通院のきっかけでありモチベーションなのだが、いわゆる自分本位になれていないというやつなのか、と一瞬思ったものの「自分がよくわからないまま相手を困らせるのでは自分が困る」ってつまりとても自分本位なのでは。なにもわからないよ~(泣)(だからカウンセリングに行ってるんでしょうが!)あと対話は衝突(必要な衝突)だと思っているが、しんどいときにそれって結構むつかしい。いや診察では別に対話しなくてよいのか。カウンセリングも柔らかい壁打ちだし。単に自己主張ができないという話をややこしくしているだけかもしれない。う、うわ〜ん!
そんでもって今日もうまく寝れず頭も痛かったが、自分のための日にしようと無理やり奮い立たせて回復できる場所をいろいろ巡ってきた。頭がすっきりしていたらもっと楽しめていた感は否めないものの、気分転換になってよかった。お気に入りだがお気に入り故に頻繁には行かないパン屋さんで、新しく店頭に並んでいたパンオショコラの最後のひとつを運よく買えたため、アイスティーとともにお昼とした。おいしかった。
『灯台へ』も全然進んでいないが、感動も絶望も心の動き自体がしんどい現状にはちょうどよい本な気がするので、読めるときは寝る前に数行読んでいる。
本というのは、ひとりでに増殖するらしいわね。夫人はそう思った。
第1部 p.36
そういえば昨日ぬいぐるみ(モンスターズインクのリトルマイキー)を洗濯した。くすんでいた角や白目がすっきりきれいになって、現在は自室のドア上部にハンガー2本にはさまれて干されている(いまどき100均でも売ってるんだからいいかげん平干し用のなんかネットを買うべき、と昨年くらいにようやく思い至ったのに買っていない)。今日も気温が上がったのでそろそろ乾いただろうか。ちなみにリトルマイキーは見守り係のぬいぐるみで、基本的に枕元に置いている。抱き枕代わりになっているIKEAのサメ(小さいほう)こそ涙やら鼻水やら汗やら吸っているだろうからこまめに洗いたいのだが、抱き枕なので洗うタイミングを逃しまくっている。20数年前のわたしはキティちゃんのタオルケットが安心毛布で、母に予告もなくはじめて洗われたときに大泣きし、なだめる母に対して濡れたタオルケットのキティちゃんを指し「キティちゃんも泣いてる」と言ったらしい(母的笑える定番昔話ネタ)。30のわたしは逆に洗うタイミングを逃しまくっていることが申し訳ない。サメだし、水恋しいよな。晴れの日が続いているうちに今度こそ洗おうと思う。
おわり
ヴァージニア・ウルフ、ジーン・リース、鴻巣友季子訳、小沢瑞穂訳『灯台へ/サルガッソーの広い海』、世界文学全集Ⅱ-01、河出書房新社