第2章-p.185
第2章に突入したら、も~う読むのがもったいない!状態になってしまい、時間をかけて寝る前にちまちま読んだり、片付け過活動の影で寝かせておいたりしたのだが、出かけたついでに図書館に寄ってノイキャンイヤホンをしながら読んでいたら、あっという間に読み終わっていた。とても美しくさみしい章だった。掃除にやってくるマクナブ婆さんとバスト婆さんがいい。というか、なんだかんだ登場人物みんないい。読み始めたときには「なんだこいつ」と思っていたラムジーやチャールズ・タンズリーもなんだかんだで愛着のようなものがわいている。第2章だけでももう一周読みたい。実はすでに文庫版を買ってあるので(しかし意地で全集を借りて読んでいる)、疲れたときに開きたい。老女ふたりの片付け作業は(バスト婆さんが呼ばれたのは最後だけだが)他者の過去を維持できるわけでもなく、現状はどんどん時とともに変化してゆく。そういえば、わたしもめちゃくちゃ掃除片付け期間をやっているのだった。わたしは他人の家ではなく、主に自分の部屋・物の片付けなのだが。掃除や片付けは一般的に現状維持的なイメージがあるように思うが、この作品中では変化、時の流れの象徴なのかもしれない。わたしが現在行なっている掃除も、現状維持というよりまさに「変化」である。ここから、はたして第3章で灯台がどう絡んでくるのか、読むのがとても楽しみだ。
バスト婆さんは息子が草刈りする姿を眺めた。あの子は大した働き者だわ――黙々と仕事をこなすタイプよ。さて、そろそろ食器棚の片付けをやってしまわないとね。老女ふたりは、よっこらしょっと立ちあがった。
第2章 p.182
薬が変わるたびに、睡眠の厚み?が少しずつ良くなっているような気がする。眠りが浅いことが多いので中途覚醒はたびたびあるし、あいかわらず朝ははやいが(しかしそれで朝の自分用行動スケジュールが組まれてしまったのだ…)、起きても二度寝ができたり、完全に寝れなくてもうとうとできるようになった。今朝もはやくに目が覚めたが寒かったのでうとうと布団にくるまっていたら、めずらしく母が、がたごと作業してから車でどこかに向かってすぐに戻ってくる音がした。こたつ布団をコインランドリーに持っていったようだった。というわけで、ついにこたつ布団の出番がやってきた。まだ布団をかけているだけの状態だが、今日はさむいので助かった。その勢いで、朝食や朝の家事を終えたあと、母をせっついて簡単に衣替えをしてもらい、その服の分別(捨てる・売る・リサイクル持ち込み用)を黙々とやった。古紙もそうだが、こういう分別作業がすきなんだと思う…昔から…。なんだかずっと掃除をやっていることばかり日記に書いているからか、もしかして『灯台へ』はお掃除小説なのか?などと思い始める。絶対に違う。
先月の通院前後からギンギン覚醒モードが落ち着いてきて、調子が下りぎみなので、なるべく自分をいたわるようにがんばりたい。(労働やら何もしてないのに自分をいたわるも何もなくない?という声が聞こえる!うわーうわーっ!)そういえば気温が高い時期はアイスティーだったが、先月からあたたかい緑茶を飲むようになった(頂きもののいいお茶の期限が10月で…)。アイスティーはティーバッグを使っていたが、緑茶はきちんと茶葉の量を量ったりお湯を冷ましたり、蒸らしたり最後の一滴までカップに入れるようにしたりと、めんどうと言えばめんどうなのだが、常に頭の中がカオスなうえに片付けという更なる(?)カオスの中に身を置いていると、こうした一定の作業の手間は気を落ち着ける効果があるような感じがする。安定したコーピングには個人的にならないと思うが、自分をいたわりたいときにできることのひとつとして覚えておきたい。
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おわり
ヴァージニア・ウルフ、ジーン・リース、鴻巣友季子訳、小沢瑞穂訳『灯台へ/サルガッソーの広い海』、世界文学全集Ⅱ-01、河出書房新社