2024/9/19+『灯台へ』

koyoko
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公開:2024/9/20

『灯台へ』第1部-p.34

最初は視点人物が流れるように入れ替わることに慣れず、ページを戻ったりジグザクに読んだりしていたが、正確さに固執すると頭が爆発するから流れにまかせて読むことに決めた。登場人物もまだまだ出てきそうだし、わからなくなってもそのときはそのときだ。あまりいい特技とは言えないが、わたしは「そういうものだ」と決めると「そういうもの」とできることが多い。数学の公式を淡々と覚えるのが得意で、応用が全然できない、みたいな感じだ。生存戦略として規範に適応してきたせいで身に着けたものだろうだが、この頃は社会から押し付けられることに対しては抗いつつ、自分でやることにはあいかわらず適用している。もう癖になっている。ある意味自分ルール的なやつなのかも。しかしそうすると読むのが幾分か楽になり、おもしろくなってきた。やはりわたしは読み始めの一歩を踏み出して、さらに着地するまでに時間がかかるのだなと改めて思う。毎晩一節は読めたらいい。

そして、色彩の下には形がある。ただ目を向けているときには、すべてがあんなにもはっきりと、あんなにも揺るぎなく見てとれるのに、いざ絵筆を握ってみると、形もなにもがらっと変わってしまう。とらえたイメージをカンバスに描きだそうとする一瞬に、魔物たちが襲いかかってきて、しばしば涙がこぼれそうになり、コンセプトから実作へ移るこの道のりが恐ろしくてたまらず、真っ暗な道を歩く子どものように心細くなるのだった。始終むなしい努力をしているような気持ちになる。勇気をなくすまいとがんばり、「でも、わたしにはこう見える。こう見えるのよ」と自分に言い聞かせ、目に映るヴィジョンの哀しい余り物をしっかり胸に抱きしめているのに、魔物の大軍が寄ってたかってもぎとろうとしてくる、そんな気になるのだ。それから、ほかのあらゆる雑念に例のごとく冷たく吹きなぶられるのも、こうして絵を描きはじめるときだった。

第一部 p.26

精神科ではない病院へ、数か月に一度の通院日だった。季節の変わり目のせいか中途覚醒の奴が頻繁にやってきており、この晩も何回か目を覚ました。二度寝できた日は許すことにしている。それでも4時にはすっかり目覚めるのでゆっくりストレッチとゆるい(本当にゆるい)筋トレみたいなことをして体に血を巡らせ、ベッドを出ていつも通りの朝をやった。付き添いはいたのだが行きの道中でいろいろあり(全然たいしたことではない)軽くパニックになる。震えと表現していいのかわからないが、こういうときストレスを発散させるために手がいつになく動く。診察中にもちょっと手が動いていたらしく、担当医に話を聞かれた。からっとした医者で、説明がしつこいくらい丁寧なところを信頼している。聞かれるとは思っていなかったので、別に状況説明だけだったのに緊張していたからなのかちょっと泣く。なぜかずっと学生だと思われていたらしく今さら「無職です」と答えた。わたしはわたしで、なぜか無職と人に言ったら死ぬみたいにしばらく思っていたので、この頃ふつうに無職ですと言えるようになったのはよい傾向かもしれない(しかし働いてないことを責める声が聞こえる~うわあ~)。次回結果見られるようにそろそろ採血しとくか〜!と採血することになり、また緊張が強まる。先端恐怖症のような兆候があったので心配だったが、針を凝視することで(?)ことなきを得た。針の穴って結構大きい。いつもは混んでいる薬局の待ち時間がなく逆に引き渡しを待たれている状態で、予定外の採血があったため今日のスケジュールがずれると慌てていたにもかかわらず、むしろ万事順調ということで、緊張と採血でへろへろになったエネルギーを補うためにからあげくんを食べた。1個増量中だった。学生ぶりに食べたかもしれない。病院を出たら快晴で、半袖にすべきだったかと一瞬後悔したが、絆創膏に圧迫用のコットンも貼られた腕がまくったシャツにちょうどよく隠れたので、よしとする。

午後からはお友達(くり返すが「お」が重要なのだ)と待ち合わせをしており、前回逃したスコーンセットを食べた!!! 口の中の水分をすべて持っていく、粉を油脂で練って焼いた、あのぎゅっと詰まった固まりを咀嚼して飲み物で流し込む行為、最高である。コーヒー屋なので紅茶ではなくカフェオレにした。スコーンひとつめはレモンとポピーシードでアイシングもかかっていて、そりゃあうまいだろう。頭の中でベイクオフのポールとメアリー(吹替版)が「アイシングのバランスが絶妙ね」「悔しいが絶品だ」とか、挑戦者が「メアリーに褒められるなんて!」とかなんとか言っている。ふたつめはナッツのシンプルなもので、クリームとジャムをもりもり乗せてもりもり食べた。途中おしゃべりもしていたが、先に席を取って注文もしていたお友達よりわたしが先に食べ終わった。お互いに渡すものがあったのでそれぞれ交換して、相談ごとをしたり、おしゃべりした。特に予定を決めていなかったので、流れで古本市に行ってしまい、今月のやつには行かないと決めていたのだが、会場を出たら本を2冊持っていた。そのあと買った手帳1冊分より安かった…。一冊は飯沢耕太郎の本で、SMやボンテージ写真について書かれていたのではやく読みたい。写真論系の本を見る・買うたびに「えっそれまだ読んでなかったんですか!?」と学生時代の自分の理想形の幻影のようなものが上から語りかけてくるが、学び直しはいつしたっていいんだよ(でもいくら落ちこぼれ学生でも最低限読んでたほうがよかった本はあるじゃんソンタグとか…えっソンタグ読んでないんですか!? は、はい…)。「リスキリング」以前に、もっと気軽にどんな大人でも学べる機会を増やしてほしいと思う(まずどんな子どもたちでも学びたいことを学べる機会と環境を整備せい)。正直金欠なので散財(と言うほどではないとはいえ)してる場合ではないのだが(医療費~~~)、お友達と出かけたときに買ったものはあとから思い出すとうれしくなるので、いつかのわたしのためということにしておきたい。もくもくちゃんのガチャガチャもして(プリンにうさぎが乗ってるイラストのクリップ)、最近断捨離魔人と化してしたので「そんなものどうせ捨てる!」と鋭い声が頭をかすめたが、今のわたしには必要な「行為」だった。帰るとき、それぞれ駐車場と駅へ向かうのに横断歩道で別れたのだが、わたしたちの前を歩いていたシニアの2人組も名残惜しそうに「またね」と別れていて、なんだかよかった。

現在最低体重を更新し続けている。1キロ程度の変動は水分量の違いでしかないはずだが、今朝体重を計ったら数グラム増えており、なんだか昨日遊んで回復した元気の分が増えたように感じられた。天気が悪くても浮かれ気分継続中でなによりである。しかし秋田の方で線状降水帯が発生したというのが心配だ。

おわり


ヴァージニア・ウルフ、ジーン・リース、鴻巣友季子訳、小沢瑞穂訳『灯台へ/サルガッソーの広い海』、世界文学全集Ⅱ-01、河出書房新社