橋場弦『古代ギリシアの民主政』(岩波新書 2022.9)

koyomi
·
公開:2025/9/21

それまでの研究に果敢に挑んだ『アテナイ公職者弾劾制度の研究』の橋場弦せんせいの本。「アテナイ民主政は最後には衆愚制に堕した」という長くヨーロッパで支配的だった「神話」を解体する試み。コンパクトながら読みごたえがある。

アテナイ民主政を支える機構や手続きを、最新研究をもとに歴史的変遷なども含めて概述しながら、アテナイ民主政がきわめて強靭な制度であって、いくたびも危機を乗り越え、寡頭政や他国の支配と対峙しながらひじょうに長い期間存続したということを示す。

もちろんアテナイは政治的外交的な失敗も多々あったけれど、制度が形骸化し機能しなくなったような「衆愚制」と呼べる時期はなかったと結論づけている。衆愚政治の象徴のように扱われるソクラテス裁判と彼の刑死についても、古代アテナイで生きたマジョリティの視点で解釈し直している。考古資料とその適切な解釈を重んじ、テキストとして現存しているプラトンやソフィスト、弁論作家たちの著作はそこまで重要な史料としては扱わない(作者の偏った政治的立場やイデオロギーをテキストから分離して、客観的な事実を抽出することが難しいから。まあ、プラトンの本を読めばそれはよく感じる)という点に学的手堅さがみえるし、哲学史家の考えるギリシア古代史とはだいぶ距離があるのも感じる。

この本では、アテナイ民主政の最盛期は、ペロポネソス戦争敗戦後の紀元前4世紀頃としている。プラトンなどは民主政が凋落期にあると考え、哲人政治などを構想していた時期。たぶんわたしたちの多くはアテナイ民主政治の黄金期といえばペリクレスの時代を考えるがそうではない。致命的な敗戦ののちの四百人政権、さらにその後の三十人政権という残虐な寡頭制(というよりは恐怖による独裁統治)ののちに、ようやく民主政は機構的政治的に成熟し、徹底されたことを知る。つまり、少なくともアテナイにおいては、権勢絶頂な時期と民主政が安定して機能した時期はずれていた。

民主政というものが、一般的にこのようなものであるかはわからないけれども。西側世界のいたるところでおかしくなりつつある現代の民主政も、この危機を乗り越えるしぶとさを内に秘めているかもしれない、と願いたくなる。