あじあブックスの小著だけれどこれは面白い! 著者の高柴麻子せんせい、Xのアカウントで明るい人となりをよく見ているんだけども、この本でも、研究者というよりはわたしたちのような興味津々な素人に近い目線と軽快な文体で、中国怪異譚(志怪小説)の森に分け入っていく。もちろんなんの手がかりもなく歩きまわっても森のなかで迷うだけ。ということで「動物」ネタを軸にお話が進んでいく。
のっけからわたしが大好きな『聊斎志異』の一篇「蓮香」の紹介。狐の女性と幽霊の少女とアホほど楽天的な男の三角関係のお話。でも化け狐の蓮香は頭が良くてほんとうに一途で、ああ、こういう女子はラノベに出て来るよな、と思ったりする。というか「蓮香」は実にラノベ的なプロットだ。なんと、化け狐と幽霊少女が仲良くなって疑似姉妹化してのハーレムエンド。さらに蓮香は人間に転生して妹と男と一緒に生きようとする。文庫本1巻分くらいまでお話を膨らませたら、角川スニーカー文庫かGA文庫あたりで扱えそう。とにかく、わかってるひとには耳タコな話だろうが、志怪小説は日本のサブカルに大きな影響を与えていると思う。
脱線したけれど、この本を読んでいると(小著ではあるのに)中国文学の奥行きの果てしなさを想う。だいたいわたしの知らないお話が多すぎる。日本と同様、中国でも狐はひとを化かすとされる生き物だが、たまにはひとと仲良くなりもする(そもそもわたしの好きな蓮香だってそうだけれど)。『閲微草堂筆記』にこんな話があるそうだ。町のなかの高楼の上で、夜に狐夫婦が派手な喧嘩をはじめる。あまりの喧嘩の激しさに下に集まった人間たちが狐の夫の泣き言にツッコミを入れて大爆笑。高楼の上の狐の仲間たちも大爆笑。そしていつのまにか狐夫婦は仲直り。このエピソードを読んで、『閲微草堂筆記』の邦訳本を買おうと思ったまま放置していたのを急に思い出して、ぽちったりした。
中国の怪異譚には、ただ淡々と、なんの教訓も含まない単調な筆致で書かれているものもある。高柴せんせいもその無味乾燥な記述の恐ろしさに触れている。この本には書かれてないけれど、あれはたぶん役人が上司に対して行う報告文書のスタイルを踏襲したものだろうとわたしは思っている。とある清代都市部の治安を論じた研究書を読んでいたら、当時の経済犯罪報告書なども史料として付されていた。密輸や横領、米の売り惜しみなど。こういう報告書だと、筆致はいかにも役人が書いた事実を連ねただけの短い文章で、犯罪者たちにどんなお仕置きがされたのかもわからない。経緯の報告に終始している。なのに、その当時の人間たちのいきいきとした生き様が感じられる。それなら、これが犬の怪異の報告書ならどうだろう。この種の怖いエピソードは(志怪「小説」であるのに)、起承転結がないものが多い。あるいはこちらが予想しているような展開をしない。唐突にはじまり唐突に終わる。人が動物に変わるだけで、急に怖くなる。この恐怖は、文書行政が浸透していたから社会だからこそありうるものな気がする。
ホトトギスは、日本では春の鳥なのに中国の漢詩に現れるときは秋の鳥としてだ。その理由もこの本で知ることができた。ああ、本を読まねば、もっと読まねば。
そして、大変な訳業となるだろうけど、いつか『太平広記』の翻訳本を読みたい。「新釈漢文大系」から出るのを待っていても、わたしの寿命が尽きてしまいそうだから、平凡社か国書刊行会にはぜひ頑張ってほしい。
