「スキル」と「土台」の話

krokrokant
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1. はじめに

先日、Twitter(X)のTL(タイムライン)にこのような話題が流れてきた。

e-スポーツ等をメインとした福祉事業所の存在は知っていたが、当事者(利用者側)として危惧を抱く部分はあったので、今回はこちらの書き散らしで「何がどう問題なのか?」「障害者が好きなことを仕事にすることの何がいけないんだ?」という話を当事者側から書いてみたいと思う。

【※大変申し訳ないのだが、私は福祉制度の細部を知っている訳ではないので、運営面や制度の細かな問題については今回は省き、あくまで“発達 / 精神障害を持つ就労移行訓練生(利用者)、社会人経験者”として当事者目線から書くことをご承知いただければと思う】

2. 「スキル」とは

まずは「スキル」の話から入っていこうと思う。Wikipediaの「スキル」の項目を見ると、下記のような意味である。

スキル(英語: skill)とは、通常、教養や訓練を通して獲得した能力のことである。日本語では技能と呼ばれることもある。*1

我々が箸や鉛筆を使えるのも、スマホをポチポチしてツイート(ポスト)をしまくることができるのも、「スキル」のひとつなのではないだろうか。

それとは別に、主に障害者の就労においては、「ハードスキル」「ソフトスキル」「ライフスキル」が重要であることはよく言われている。*2 障害者の場合の「ハードスキル」「ソフトスキル」「ライフスキル」を簡単に説明すれば、

  • ハードスキル

    仕事を遂行する能力。ビジネスマナー、PCスキル、仕事上の専門知識など

  • ソフトスキル

    職業生活をおくるための能力。コミュニケーションやスケジュール管理など

  • ライフスキル

    日常生活をおくるための能力。家事、通院、心身の管理、役所・ATM・公共交通機関の利用など

といったものだ。健常者からすれば「そんなの当たり前にやってるよ!常識だろ!」という話なのだが、特に発達 / 精神障害者の場合は障害の程度の個人差や心身の波が大きく、これらを身に付けるのが難しい場合も多い。

私は大学中退を経て“定型の健常者”として非正規で働いていた経験が約九年程度あるのだが、業務中に寝るわ、電話は取れないわ、来客対応やお茶出しの仕方は分からないのでググるわ、「お前よくそれで生きてこられたな」という、特に二十歳前後の頃はたいへんな非常識人ぶりであった。

三十歳を過ぎて障害者となり、就労移行支援事業所に自立訓練(生活訓練)から通所を始めたが、障害特性を除いても、どのスキルも圧倒的に足りない、ということを痛感した(今は加齢もあり多少進歩したとは思っているが、全く非常識ではないとは言えないし擬態をしているだけである)。ブランクのある社会人経験者でもこれなのであるから、若い人や社会人経験が少ない人はなおのことだろう。

また、私の場合は二次障害のあるASD × 境界知能 × 学歴なし = 若いうちに発達障害その他が判明することがないままいきなり就労してしまった上、就労移行のような場所できちんと学ぶ機会もなかったために途中で潰れた、というパターンのズレ=困難なのであるが、学歴職歴がある発達 / 精神障害者、高知能の発達 / 精神障害者の場合でも、「特定の物事だけができない」「仕事も勉強もできるのに、心身のコントロールや対人関係が難しい」などといったズレ=困難があるだろう。

3. 「土台」とは

そこで「土台」の話に入る。下記の図は就労移行支援事業所等を利用している人ならばちらりと見たことがあるかもしれないが、「就労準備性(職業準備性)ピラミッド」というものだ。

就活や就労をするにあたってまず重視されるのは、ピラミッド下層部の「心身管理」「生活リズム」だ。

これは実際に障害者雇用 / 非正規パートタイムで就活をしていても企業側は結構厳しく見ているように思うし(二十日前後フルで通所できていても、実際の就労を想定した場合に少しでも疑問を持たれると落とされる)、そもそも就労移行支援事業所ではある程度安定した通所等ができていないと「そろそろ就活準備や実習をしようか」という話にはまず進まない。また、特にASD者の場合はこの下層部のスキルが課題であるという資料もある。

ここで「元々ハードスキルをある程度持っているなら、あとはソフトスキルやライフスキルを整えれば良いだけだよね!」という意見も出てきそうだが、そこには「とりあえずちょっと待った!」をかけたい。

まず第一の理由としては、下記の「自立センターえさか」さんのツイート内容を見るとよく分かるように、「ハードスキル」「ソフトスキル」「ライフスキル」は天秤や積み木のようなもので、それぞれ適切なバランスが取れ、かつ、かっちりと組み合わさっている必要がある。上記で私の経験を書いたように、「就労移行で訓練を受けてみると、自分の想定以上に足りない部分が多かった」ということもあるし、「スキルのうち一つはそこそこあるのに他二つが圧倒的に不足している」という人もいる。

そして第二の理由としては、一から段階を踏んでじっくりとスキルを積み、他者からの評価も含めた自己理解を深めていくことが、就活をする上でもその後の人生をおくる上でも大変重要だからである。

始めに「ライフスキル」を立て直すことで自分の心身の状態や特性などいちばん根本的な部分、“どういう時にストレスや疲れが出るか、どのくらいの負荷なら大丈夫なのか”などを知る → 次に「ソフトスキル」「ハードスキル」を立て直すことで、“自分にはどのような仕事が向いているのか / 向いていないのか”や “自分にはどのくらいの負荷の仕事なら大丈夫で、どこは合理的配慮などが必要か”などを知る → 訓練の積み上げによりスキルを少しずつレベルアップさせると共に、就労イメージの解像度なども上げていくのである。

ハードスキルはあとからでもある程度はついてくる。しかし、ソフトスキルやライフスキルで自己理解をすること、それを踏まえて他者に説明する・適切にヘルプを求めたり休むことは、就労移行支援事業所に通所している間の“特権”なのではないだろうか。

4. 「好きなことをする」ことの落とし穴

好きなことや得意なことを見つけるのは余暇の過ごし方やストレス対処、人と繋がるきっかけにも繋がるし、それで食べていけるのならばいちばん良い。

が、発達界隈でよく言われているように、「それでただ食べていける」という人はやはりごくわずかなのではないだろうか。生まれ持った才能、努力や運や知識があることはもちろん、「他者からの評価も含めた自己理解」「この仕事をすることへの根本的な理解」がきちんとあることや「仕事として最低限必要なスキル(報連相・予定管理・職業倫理その他)」を身につけていることが大前提ではないだろうか。

発達障害を公表している有名人著名人でも、第一線で活躍しているような人は “そのあたり” を “きちんと理解した上で” 上手く活かして仕事に繋げているように感じる。

「苦手なこともやって克服しろ」と言いたいのではなく、プロゲーマーになるにしろ、障害者雇用やフリーランスで働くにしろ、「ハードスキル」「ソフトスキル」「ライフスキル」の三種すべては長い人生をおくる限りはどこでも必要になってくるし、一生ついてまわる。“好きなことをする”のも、実際は技術や知識以外のスキルがかなり必要とされるのだ。

味噌汁やスープなど出汁が重要な料理なのに、市販の顆粒だしさえもケチると、食べた時に何か決め手にかける。植物だって、水やりや日当たりなど最低限必要な管理をしなければ枯れてしまう。

好きや得意ばかりに走って「土台」作りをおろそかにしてしまうと、ついでに作った柱や屋根も、ストレスや対人関係などちょっとしたことで崩れてしまうし、直すには「しっかり作った土台」以上の時間を要することになり、結局本末転倒なのである。

「しっかりした土台」を作っていくのは大変な作業だが、最初にきちんと作っておけばその後に多少のことでは揺らがないものになるし、就労後も自分を支える「柱(自分軸)」にもなる。もちろん急いで作る必要はないし、自分のペースで、できるところからスモールステップでよい(一度に自分の全てを把握できる人間はいないし、人間は毎日変化していく生き物だ)。

5. そしてそういう事業所に対して思うこと

民間の福祉事業所については、経営者の持ち逃げなどの話も聞くし、現在障害者雇用で働いている私の知人も、過去に民営の作業所ではハラスメント被害に遭っている。

そしてe-スポーツ等をメインとした民営の事業所のサイトをざっと見てみると、経営側の理念や方針・スタッフが支援して感じていることなどの「顔」が全く見えてこないし、「クリエイティブ」「夢を諦めない」「一日から」のような甘いガワだけで利用者をホイホイしているようにしか見えない印象だ。

e-スポーツ系就労移行支援事業所のカリキュラム内容も見てみたが、一年半をほぼ専門内容の習得に走り、最後の半年間でビジネスマナーを習得する、というのは、一般企業での就労を目指す標準的な就労移行支援事業所のカリキュラムと比較するとだいぶ遅すぎやしないだろうか。入学時に専攻を選択する専門学校や短期大学などにしても、一年次から就職を見据えたカリキュラムをある程度組んでいるものではないだろうか?と疑問である。

(※注釈として、カリキュラムの組み方には個人差があると思われること、事業所によりSSTやメンタルマネジメント、PCスキルや資格の取得なども一応行っているようであることは付記しておく。「ゲーム依存症対策」が入っていることにはやはり首を傾げてしまったが)

コロナ禍をきっかけにテレワークなどが進み、障害者雇用でも東京の会社に在籍しながら地方の自宅で働く、といった働き方は実際にあるし、大手企業や地方の福祉事業所も新しい取り組みを始めている。障害者の新しい働き方や生き方を模索し提案していくこと自体はよい。だが、五年後十年後には、「ガワ」だけの事業所や歳を重ねた利用者は果たしてどうなっているのだろうか?「ガワ」だけの事業所は将来を保障してくれるのだろうか?

民営でもきちんとした事業所はあるだろうし、福祉に夢を見るなよというのはごもっともである。が、こういう事業所や障害者ビジネスが放置され蔓延していくのは、結局「ひとりの人間として、労働力や納税者となり自立できる障害者」「障害者の多様な働き方や可能性」を逆に縮小させていき、経営者が良い思いをしているだけなのではないか?としか、私には感じられないのだ。

6. まとめとおわりに

という訳でまとめである。

  • 「ハードスキル」「ソフトスキル」「ライフスキル」、及び他者評価を含めた自己理解は人生をおくる上でどこでもついてまわる必須スキルである。

  • 若いうちや就労移行支援事業所在籍中などに「土台作り」をしっかりとしておく。

  • ただし急いだり、すべてを極める必要はない。自分のペースで、必要に応じて支援者や便利ツールにも助けてもらいながら行おう。

  • 事業所利用を考えている人はサイトや体験利用で、経営側の「理念」や「方針」などがきちんと見えるのかということや、自分に不足しているものは何で、この事業所はそれを将来的なことも含めてサポートしてくれるのかなどをきちんと考えた上で利用を決めよう。

好きなことをすることは否定しないし、障害特性で“できない”ことはもちろんある。型にはまりたくない、それしかしたくない、という人もいるだろう。しかし、特に若い人や社会人経験が少ない人が「土台作り」をすっ飛ばして楽な方に流れてしまうこと、偏った土台を作ってしまうことは、その後の人生において大変な危険を伴う。

「スキル」は「生きるための道具」、ピラミッドは「頑丈な家」でもある、ということを将来のことを含めて振り返って考えてもらえたらと思う。

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*1 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/スキル

*2 「ソフトスキル」「ライフスキル」は被る部分もあるため、「職業生活全般をおくる能力」としてひとつにまとめられている場合もあるが、ここでは分かりやすく三階層に分けた。

※参考資料

就労準備性のピラミッド(厚生労働省)https://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/12/dl/s1226-7c05.pdf

「発達障害者の就労上の困難性と具体的対策」(労働政策研究・研修機構(JILPT))https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/08/pdf/057-068.pdf

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※こちらの記事を書くにあたっては、オギー (@ogiasdadhd) さん、APD/LiD(聴覚情報処理障害/聞き取り困難症)当事者会 APS (@apd_peer)さん、sopueltno(@fake_outlandos)さん、自立センターえさか スタッフ (@esaka_staff)さんの各ツイート(ポスト)を引用させていただきました。

@krokrokant
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