1.
10代から色々ダメになってきて人生迷走し(幸いにも非行に走るなどはしていない)、知能検査その他を受けた結果、発達障害(ASD)らしいと判明したのが2019年(WAIS-R)、更に自分が境界知能(境界域)だと診断されたのが2023年の夏だった(WAIS-Ⅳ)。
これが現時点での最新版なのだが、言語理解以外がすごく足を引っ張っていて、こんな結果になっている。この画像にも少し書いてあるが、
様々な面から物事を考える
頭の中だけあるいは聴覚のみで情報処理する
素早く作業する
抽象的な物事の要点をつかみ言語化する
以上が苦手とすることだ。ASDが判明した時も、境界知能(境界域)が判明した直後も、発達障害当事者の横道誠氏が言うような「伏線回収」*1 の感覚が強くて、「あー、やっぱり私は変だったからこうなったんだな」と、ほっとするよりは化け物の正体が分かった時のような気持ちだった。
2.
境界知能(IQ:70~85)は日本の人口の約14%を占めるので、発達障害の約10%、知的障害の2%よりは結構多い数字になる。同じ年齢の子と比べて8割の発達水準、成人では中学3年生程度の知的能力*2 とされるが、2024年現在では福祉支援の対象とはされておらず、療育手帳も取得できないので、ASD,ADHDなど発達障害や精神疾患がない場合は特に支援から零れ落ちてしまうそうだ(私は発達障害及び二次障害で精神障害者保健福祉手帳取得をしている)。発達障害も軽度の場合はぱっと見た感じでは分からないように、境界知能(境界域)も見た目以前に検査をしないと分からないのだ。
3.
診断されて半年以上が経つが、ぼんやりしていた「境界知能」という概念が、SNSでのカジュアルな罵倒語としての使用・自身の就活、といった面で、ASD以上にどんどんと苦悩として顔を出してきている。
「⚪︎⚪︎(固有名詞)は境界知能」「境界知能はこれだから」といった言葉を見る度に、「私はバカです、税金を使っていてすみません」と思うし、就活の筆記試験対策で公務員試験初級のテキストや中学の数学のテキストをやっていて少しもわからなくて、「やっぱり私はバカだ、何故家族は定型なのに、私は算数もできないし一般教養もない知能なしなんだ」とひどい白黒思考になっている。
発達障害には発達障害、精神疾患には精神疾患の苦悩はあるのだが、ガワは普通である(と思うが、同じ当事者に会ったことはない)・知能が他者に可視化されない・そして支援から零れ落ちてしまう、のが境界知能(境界域)当事者のいちばんの苦悩だと私は考えている。
前述のように、このところは「境界知能を言い訳や免罪符にはしたくない」という気持ちと、「でも、もうしんどい」という気持ちが同居している。境界知能の診断をしてくれた現主治医の「苦手な部分が多いから、生きづらいんだろうね」という言葉には救われているが、“普通”の人間として擬態して生きてきた期間があまりにも長すぎて(30年以上だ)、その言葉を自分自身の中に適用して自分に寛容になることができないでいるし、30代後半の私には「大人の境界知能当事者」のロールモデルがいないことにも絶望している。
4.
ただ、まだ“同居”して半年であるから、“境界知能”を理解して上手く操ることができていないだけ、とも言える。死ぬまで知能はどうにもならないのだが、ASD女性+境界知能という希少なサンプル・生きた実験体として、誰かに何か届けば良いなと思い、Twitterで少しずつ呟いている。
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*1 発達障害を持って生きるのは、エヴァンゲリオンの操縦と似ている(日経ビジネス)https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00369/111500031/
*2 宮口幸治「境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書 627)」