昨日は銀座でひっそりとやっていた春画展に行ってきた
春画という言葉自体は知っているし、教科書かなんかでみたこともあったのだが、実際に本物を見るのは初めてかもしれない
ついでに併設のシネマでやっていたこの映画も観てきた
これは春画を題材にしたドキュメンタリーで、鳥居清長の『袖の絵』を現代に復刻するプロジェクトを中心に物語が進んでいく
この映画を見る前は、春画というと「江戸時代のエロ本」の別称くらいの解像度でしか観れていなかったのだが、この映画を観た後は、春画というのはただ単にエロティックな表現をしたものではなくて、人間という生き物の活力を表現した芸術として捉えられるようになった
映画の中で特に印象に残った場面は2つ
一つは春画の特徴を西洋のアートコレクターが説明している箇所で、春画が西洋のエロ絵(なんと表現していたのか忘れてしまった)と違うのは、春画の場合は著名な画家がそれを書いていたということ、だという。西洋の場合は著名な画家になるとエロ絵を描かないのに対して、日本だと北斎のようなトップの画家が春画を描いている。これが春画の芸術としての価値を高めているのだ、という説明。
2つ目は会田誠のインタビューで、「日本人がオリジナルなものを作ろうと思ったら気負いすぎないことが大事」だというセリフ。日本人が立派なものを作ろう、評価されるものを作ろうと思うと大抵は西洋の文化を模倣したものになってしまってオリジナルなものにはならない。徹底的に内向きに閉じていた春画が結果的に今海外で評価されているのはそういうことなんじゃないか、という話。
どちらも私自身うまく言語化できていなかった部分で、春画に限らず世界で通用する日本のものづくりをするためには、あえて内向きに閉じたものづくりをしてみるのもありなんじゃないか、と思った