この時期になるとよく聞く単語の一つに「社会人」という言葉がある
「社会人としての心構えを〜」とか「〇〇君も今日から社会人か」とか、今でこそ自分もつい口を出てしまうが、大学院生のときはこの単語に結構苦しめられた思い出がある
大学院生にもいろいろあるのだが、自分はバイトで細々と生計を立てていたタイプの学生だった
少ないながらも、自分で税金を納め、社会保険料を払い、生活していた
とはいえ外の世界の人から見ると大学院生も大学生も同じようなものだ
賃貸物件の契約時など職業欄に「学生」と書いたうえで、続いて年収の欄に自分の細々とした年収を書き込んだりすると、なんで学生なのに収入があるのか、と訝しがられることも多かった
大学院生は学生であって社会人ではない、陽に暗にそう言われるたびに自分が社会の構成員ではないような、社会のお荷物になっているような気がして悲しかった
とはいえ就職して会社員となった今では、たしかに大学院生を社会人と呼ぶ抵抗感も理解できる
自分も今からじゃあ大学院生を社会人と呼ぼう、という呼びかけをしたいわけでもない
そうは言っても「社会人」という単語はそのまま解釈しようとするとスコープが広すぎて、そこに所属できない自分ってなんだろう?となってしまいがちなのも事実だ
生きている人は皆全て社会となにかしらの繋がりを持っているにも関わらず、会社で働いていなければ、フルタイムの仕事に従事していないと社会の構成員とは認めない、「社会人」という単語はそんな圧力を持っている感じがする
最近気になって「社会人」という単語の歴史について調べてみた
「社会人」という言葉が誕生したのは明治時代、「社会」という単語がSocietyの訳語として定着して4〜5年経ったころだそうなのだが、その頃の「社会人」の意味合いとしてはまさに「社会に参加して責任を果たす人」という意味合いで、これはどちらかというと英語のCitizenの意味で使われることが多かったという
「社会人」が現代でいうようなフルタイムの正社員としての意味合いを強めていったのが、昭和初期(1930年代)ごろで、この頃に社会人=職業について働いている人、という認識が定着していったらしい
こういった歴史を踏まえると、やはり現代の「社会人」はその字面から想像されるものとは全く異なる概念として運用されていることがわかる
つまり、大学院生の頃私が抱えていた悩みは、まさに「社会人」という単語の意味合いの変容に起因していて、むしろもともとの意味でいえば大学院生も立派な社会人なのである
とはいえ「社会人」という単語の意味が現代ではすでに変容してしまっていることを前提とした上で、他に何か良い表現はないのだろうか?
もともとの意味に立ち返って考えると「市民」という言葉はそれなりにフィットしている気がする
難点を言うと、「市民」にはちょっと政治的な色が強くてなにか政治について一家言ありそうに思われることだが、もともとは社会人もそういう意味合いを持っていたのだろう
社会人原理派として、これからは「市民」を推していきたい