背景
昨夜、娘(小学校高学年)に「おとなはどうして『大人』って書くの?」と訊かれたので、一緒に考えることにした。
過程
整理する
「どうして」の部分を、話をしながら深く考えた。娘の疑問は、この 2点だった。
熟語「大人」に在る「大」「人」のそれぞれには、「おとな」と読む音読み・訓読みが無い。それなのに、どうして「大人」を「おとな」と読むのか。
「おとな」の反対の言葉が「こども」だと思うけれど、それだと「大人」「子供」と書くのはおかしい気がする。「大人」「小人」なら漢字の意味が反対になっていて(大⇔小)、納得がいく。
仮説を立てる・勝手気ままに考えを述べる
多分、こういう事なんじゃないかなあ、みたいなことをお互いに話す。答えを見つける時間よりも、こういう時間の方が大事かもしれない。
「おとな」「こども」は、和語(やまとことば)なんじゃないか
和語「おとな」に相当する意味を熟語の中から割り当てるときに、「大人」が選ばれたんじゃないか
熟語「大人」は和語「おとな」に意味が近かったけれど、熟語「小人」は和語「こども」は、意味が離れていたので「子供」って熟語を使うことにしたんじゃないか
どこかで「小人」で子供料金を示す表示を見たことがある気がする
調べる
読書の経験から振り返る
娘は、数ヶ月前に子ども向けの論語の本を、図書館から借りてきて読んでいた(何故、そのようなものを手に取ったかは不明)。読んだ内容に基づいて、話題を振ってみる。
「論語の中で、小人(しょうじん)って言葉が書いてあった気がするのだけど、読んでみて出てきたかな。」→「ああ、あったあった、思い出した。」
「その中ではどんな意味で使われてた?」→「うーん、普通の人?とかそんな感じ。君子はすごい人・立派な人。」
辞典で調べることにする
手元にあった辞書は、かなり攻めている国語辞典『新明解国語辞典 第四版』と、『新明解漢和辞典』(いずれも三省堂)
辞典で しょうじん【小人】を調べる
調べるべきは【大人】なのに、【小人】を先に調べた。言葉の意味を読んでいるだけなのに、何故か深いダメージを喰らう、それが新明解。
新明解国語辞典
誘惑にすぐ負けて初志を見失いがちであったり、初めから人生に大きな目的を持ち合わせていなかったりする人。「女子と―は養い難し・―閑居して不善をなす」(用例は『論語』『礼記 [大学] 』からか)
大人(たいじん)・中人(ちゅうじん)「子供・こびと」の意の漢語的表現。「入場料、-三百円」。
新明解漢和辞典
人格の低い人。徳のない、よくない人。
身分のいやしい人。人民。庶民。
自分の謙称。
背が低い人。こびと。
子ども。
辞典で【大人】を調べる
新明解国語辞典 たいじん【大人】
入場料金表などにおける、「おとな」の漢字による表記。〔広義では、悠悠と構える超俗の人をも指し、師父・学者の姓名の下につけても用いられる。後者の訓読は、「うし」。また、中国では簡易の高い要路者を差す〕
人格が高く、立派な人
新明解国語辞典 おとな【大人】
もとは、長とも書いた。
一人前に成人した人。〔自覚・自活能力も持ち、社会の裏表も少しずつ分かりかけてきた意味で言う〕
老成していること。「彼は年の割に―だ」
新明解漢和辞典 【大人】
有徳者。人格が高いりっぱな人。
君主。人君。
他人をよぶ尊称。
父。子が父をさす称。
母。
父母。
からだが普通より大きな人。巨人。
成人。一人まえの年齢に達した人。
多く学者に使う尊称。先生
仮説との照らし合わせ
調べた内容と仮説とを照らし合わせてみると、何か近い気がするけれど、はっきり正しいものも見えず。うーん、とうなるだけの二人。
大人って何だろう
大人が随分立派な人として定義されているけど、そんなに立派でもない気がしている。「社会の裏表も少しずつ分かりかけてきた」と新明解国語辞典に書いてあるけれど、私はそんなに社会の裏表が分かってない(鈍感なだけか)。
立派であらねばならないわけでもないし、かしこまる必要性も無い気がしている。
全然、本筋じゃないことを書いた。
何か足りてない気がする
何か核心に迫っていない気がする。週末に娘と図書館に行って、『日本国語大辞典』(略して「にっこく」)と、『大漢和辞典』を使って調べてみるつもり。
余談
言葉のことなので、辞典 [dictionary] で調べた。事典 [encyclopedia] と区別する目的で「ことばてん」という人がいて、その人は事典を「ことてん」と言っている。区別がつくなら、何であってもよいと思う。
新明解国語辞典の攻めっぷりの詳しいことは、『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』に書かれている。新明解の攻めっぷり・面白さは、機会があったら書く。