人数が三桁いる職場の同期のグループチャットを私が久しぶりに動かした。私は別に全同期を代表してなにかの連絡をするような、先頭に立って飲み会の呼びかけをするような人物では全然ないけれど、今JVCがガザへの緊急物品支援企画をブックオフと連携してやっているから、どうせ賛同するなら一緒にやってくれる人を一人でも多く募ってやろうと思い、声をかけた。
結果、私を含めて5人集まった。荷物はもう出荷し終えてあり、先日領収証も郵送で届いたのでその結果も共有してあるのだけど、手間なんて不要になった本やらDVDやらを5人分集めてダンボールに詰めるだけで、時間も全然かからなかった。手続きも簡単で難しいことなど何もなかった。
本音は、声をかけてたくさんの物品を集めたかったわけではない。声をかけることで、一人でも多くの人にパレスチナのことを知ってもらい、考えてもらい、停戦のためにデモや署名をしたり支援のために寄付をしたりして、一緒に戦いたかった。大きな既読の数字を見つめていたら通知が鳴って、領収証の写真を共有した5人のグルチャに「感慨深い…」という謎のふにゃふにゃしたキャラクターのスタンプが送られてきた。ありがとうと思った。
昔、よくR18Gでソートをかけて創作作品や資料を検索していた時期、あの頃は人間が傷付けられている写真や死体の絵などは、警告文が書かれたワンクッションが置かれてから掲載されていた。あるいはモザイクがかけられていたり、ちょっと血を流しているだけで注意と書かれていた。殺傷事件の証拠写真はネット上からすぐに消された。それが今はどうだ。SNSに、毎日子どもの死体の写真が流れてくる。弟を助けようとした背中を撃たれて亡くなった兄、膝から下を失った赤ちゃん、道路に血まみれで横たわる妊婦、服を剥ぎ取られて一列に正座させられる青年ら、放り投げられた誰かの四肢。助けてと叫ぶ人の動画。
私達はなぜこれを止められないのか? 私達は理性と感情がある人間ではなかったのか? 対話に力はないのか? 生きている人間を一所に集めて空爆するなんて、そんなことができるなんて一体どういう精神状態なんだ? 私達は後世に問われたときに「だって何もできなかった」と答えることになるのか? 私達は、人間ではないのか?
マーク・ラファロが、バイデン大統領名指しで即時停戦を訴えている動画を見た。『哀れなるものたち』を鑑賞した直後だった。彼はこの劇中で、一歩間違えたら嫌悪に繋がりそうな難しい役柄を滑稽に痛快に演じていて、とても良かった。映画館から出て外を歩いたとき、私は空の青と葉の緑を見てこの世界はなんて美しいんだと涙を堪えた。色のある世界が、良識ある社会が、私達の共存を蝕むのだとしたら、私達の住むこの星は一体誰が守ってくれるというのだろう。近頃は自分らの破滅をカウントしているような日々だ。しかし黙りはしない。本を読む。