数年間ずっと新曲をチェックしてきた海外のシンガーソングライターが、数ヶ月後のフェスに出る。その知らせを彼自身がSNSでしていた。フェスのポスターを載せて「On sale!」と最初書いていた投稿を、すぐに「On sale…」と打ち直していたのを、たまたま同じタイミングでSNSを開いていた私は見逃さなかった。
繊細な方だと思う。ギターひとつあればどんな国へ行ってもそこを自分の部屋にできる、そんな無敵のミュージシャンだと思うが、繊細で素敵だ。赤裸々に歌詞を書くし、吐くように歌う瞬間もある、喧嘩を売るみたいなテンションで他のアーティストを批判することだってある、泥臭くて愚直なアーティストだけど、同時に明け方の霧の薄さみたいな繊細さを感じる。ファンに対して、遠方の子を祈る親のような愛情もある。しかし他人と朗らかに会話をするのは苦手なようで、Tiny Desk Concertに出たときは拍手をもらってもニコリともせず「やれやれ」みたいな調子で黙々と次の曲に移るので、YouTubeに「この人、機嫌が悪いの?」とコメントがついていた記憶がある(そのあとファンらしき人が「いつもこうだから心配しないで」とフォローしていた)。
新しいアルバムが出るたび何かに挑戦していて、毎回知らない音楽を届けてくれる。そんな彼はかつて、一枚目のアルバムで一躍有名になった若手だった。十代のうちに誰々の再来だと言われもてはやされて、日本のラジオでも彼の曲が頻繁に流れた。しかし人からいつまでも一枚目のアルバムの話をされるから、「そんなに一枚目のアルバムみたいな音楽がいいならずっと一枚目のアルバムを聞いていればいい」と発言したこともあった。私が彼を知ったのも一枚目のアルバムの頃で、TSUTAYAのCDコーナーで中古のそのアルバムを偶然手に取ったのがきっかけだった(そう、当時の我々はまだTSUTAYAのCDコーナーに通わないと新しい楽曲に出会えないような音楽の聞き方をしていたのだ)。彼の外見が私の弟に似ていたというだけの理由でCDを買った。試聴もせず。私は弟を愛していたので、弟と似た容姿に絶大な信頼を寄せてしまったのだ。
結果、今でも新譜を追いながら聞いている。もう音楽性に惚れている。ただ最近はどうにも胸が苦しい。彼のポストへのアクション数が減っていくのを眺めながら、どうすればいいんだと眉間を寄せる。彼がSNSのプロフィール欄の文章を消したり、彼が「On sale!」を「On sale…」と打ち直したりするたび、肺のあたりに雲がかかる。彼の音楽の終わりは彼が決めるだろう。でも、私のこの、彼の音楽を愛する気持ちの終わりを私には決められない。まだ一度もライブに行けていないのに、このまま来日してくれなくなるのではないかと焦りが走る。どうすればいい。フェスに行きたいけど時期がまずい。ツアーに行きたいけど遠すぎる。お金で彼を応援できないことへの焦りは資本主義! 新自由主義! といった感じで辟易するけれど、この遠い島国からアルバムを買って、SNSに応援と感謝のコメントを書き込んで、そうやってでしか応援できない社会に私達はいま生きている。
年齢を重ねるたび、彼にあった弟に似た雰囲気は薄くなっていった。顎の下に肉がついて輪郭が丸くなって、目尻にシワが出てきて、歌声にはコクが深まって歌詞も多義的になって、同じ時代に生きていることをそうやって知る。彼の中に流動的で多面的な彼だけの感情と思考があって、きっと今日も「やれやれ」みたいな調子で生きているはずだ。
この記事を書きながらもう一度彼のSNSのホーム画面を開いたら、数日前は空欄になっていたはずのプロフィール欄に「シンガーソングライター」と書かれていた。そう、あなたはシンガーソングライターだ。でももしそうでないとしても、あなたは絶対にあなただ。
過去の自分を振り返ること、今の自分を見つめ直すことで、また前に進むことが出来る。そうして現在の自分を投影したものが、このアルバムだと思うんだ。それと、自分自身に対してオープンで、感受性が研ぎ澄まされていることも必要だと感じたし、傷つくことも恐れずに受け入れた結果がこのアルバムだと自分では思ってるよ。過去に書かれてきた名曲というのは、その曲を書いた人物がある意味脆弱で繊細で、傷つきやすい心を持った人だと思う。その感受性を曲に投影することで、名曲が生まれてきたと信じているんだ。―ジェイク・バグがファンから寄せられた質問に答えてくれたインタヴューを公開
(④と⑬は私が送った質問で、それに答えてくれたことを宝物のように抱きしめながら何度も読み返している記事です。)