自分が自分の親友になる、についてずっと考えている。ここ数週間で三人くらいの人がこれを言葉にしているのを見た。期待した返答がこなくて落胆したりとか、似たペースで動いてくれなくて疲れるとか、そういった勝手すぎる依存が自分相手だったらおそらくない。理解。では一体この孤独はなんだろう?
ヒーローが話をしているのを、黙って聞けばいいわけじゃないんです。皆がそれぞれ自分の話をすればいいし、皆がその話を聞いたらいい。
「誰もヒーローにしない」ということ ― 韓国生まれの表現者 イ・ラン インタビュー(https://wezz-y.com/archives/71184)
(自分ではない、他人の)親友がいた頃のことを振り返ると、共通の話題で何時間も喋ったり同じものを何度も見たりしていたなと思う。それが別の学校に行き、違う土地に住み、子どもを産んだり産まなかったりで、「共通」とか「同じ」がぽつりぽつりと消えていった。新しい出会いに友情を期待してちょっと努力をしたことも幾多あるけれど、いつも疲労が勝ってしまって一人の部屋に戻っては安心してやっぱりここだと思う。でも親友はほしい。今いたらきっと楽しいと思うのは共通の政治の話ができる友達で、同じフェミニストの友達で、でも私はそういった人達と本の中やインターネットの上で出会ってしまったから肉声での会話がない。
自分と会話ができたら楽しいだろうか。ChatGPTに聞いてみる。
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地下鉄に揺られて帰路につき、どこへも寄らずまっすぐ帰った。帰ってから一人で飲み直そうかとも迷ったものの、コンビニに寄る気力すらなく、ただぼやっと帰宅した。部屋は彼が去ってからというものずいぶん散らかっていた。僕も別に壊滅的に片付けが苦手というわけではないが、生粋の綺麗好きである彼に比べたら、そりゃあだめなほうになる。だからか、整理されていないままの部屋を見ると、彼の不在を静物にまで見せつけられているようで胃が沈む。明かりをつけないままリビングに踏み入った。ここはカーテンを閉めなければ、僕の背丈より高い大きな窓から近隣のビルやオフィス街の光がずっと入り込んできて一晩中明るい。窓に近寄り、外を見回した。静かだ。近隣に建つタワーやビル類の赤い航空障害灯が、無言でテカテカと点滅している。揺れる川のみなもは、夜の街の光源を反射させてきらきら揺れていた。
疲れた。独り言が、ひとりの部屋にとんと漂う。冷えた窓ガラスに額をつけると、ほてった体と心をひんやり落ち着かせてくれた。僕は夜が好きだ。寝ているのはもっと好き。
そのまましばらくぼうっとしていたが、やがて脚が痺れてきたので床に座り、ソファーの足に頭を預けてふっと目を閉じた。どうやらその体勢で寝落ちていたようで、次に瞼を上げたときには、リビングはぼんやり白く明るくなっていた。窓から朝日が差し込んでいる。コンタクトレンズをつけたまま寝てしまったせいで、視界がぼやけた。喉も渇いている。すぐに立ち上がる気にもなれなかったので、目が覚めても数十分はじっとしていた。昨夜の居酒屋の香ばしい匂いが漂う汚れた髪まで頭ごと支えてくれるソファーに、ごろんと甘える。黄色に変色していく朝の太陽光が眩しくて、ぎゅうと目をつむった。
ふと思い出したのは、昔、このように寝落ちてしまった夜の翌日、明け方にベッドまで運んでくれたあたたかい人の影だった。ちゃんと布団で寝なきゃだめだよと、きちんと注意しないと気が済まないが睡眠を妨げたくもない、優しくて実直な葛藤が生んだ小さな一言が、ゆめうつつの中にも聞こえた。甘えたくて、ベッドに着いたとわかっても首に抱きつく腕を離さなかった。今は尾骶骨が痛い。傍にいるときは、恋しいなんて感情はわからなかった。それもそうだった。だって傍にいたのだから。勇気を出して薄目を開けても、部屋には誰もいなかった。がらんとした空間の先、窓の向こうを眺めると、浅くて白い砂浜が透けている波打ち際のような空に、今にも消え入りそうな三日月がぽつんと取り残されていた。指のむくみがきつい。【無題】