挙手してから話してください

加藤
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公開:2025/11/4

 あらゆるストックが急に一斉に切れるタイミングがある。奇妙だ。

 最寄りの図書館のリサイクル市へ行く。毎年顔を出しているが、今年が一番混雑していた。今回は、近々仕事で適当な本が数冊必要になるため、職場の先輩に「ついでに子育て世帯向けに良さげなのを何冊か買ってきて」と頼まれていたので、自分用の他に料理の本や子育ての本などを何冊か選んで購入した。しかし私は普段料理をしないし、子育ても経験がないうえに今後するつもりも毛頭ないので、いやはやどの本が良さげでどの本がそうでないのか全く見当がつかない。いや、そもそもファミリー層向けの選書が料理本や育児本というのは短絡的すぎないか? 偏見ではないか? と、図書館で長年散々働いてくたびれた背表紙たちの波を見渡しながら考え直す。結局、「星を見てみよう」「かわいい猫ちゃん」「民主主義とは」みたいな題名のハードカバーや、金原ひとみや森博嗣などの有名作家の著作を狙って何冊か追加で買っておいた。

 今、ちょうど色々な相手方に「私はここにいます」と申告するような行いをしていて、というかここ一年そのような行為の連続なのだけど、それに対する返答を待っている時間が本当に腹の底からしんどいということを痛感している。結果を受け取ってしまえば諦めもつくし自分に言い訳もできる、どんな結果であろうと一晩寝てしまえば客観的になれて気が楽になる。でもただ、待つ、だけの時間は嫌気がさすほど長い。ああだったらどうしよう、こうだったらましかもしれない、もしこうなれたらこうしよう、という風にどんな方向性の心持ちでいるべきなのかもわからない。そんなはずないのに心持ちを間違えると結果にまで響くような気もする。返事が早いことはそれだけで誠実かもしれない。

 当然だが、挑戦には恐怖がつきものだ。失敗したり自分に失望したりしたくないという我儘な願望があるから、踏み出したり変化しようとしたりする挑戦は怖い。挑戦に本気で向き合う時間、つまり努力はリスキーな懸けだ。今、私は、色々な相手方に「私はここにいます」と申告し始めて、ようやく気がついた。私はこれまでろくに努力をしてこなかった人生を歩んできたが、それ以前に、決断というものに対しても手を抜いてきたということに。

 正直に言って、なあなあで生き抜けてしまえる半生だった。いや、具体的に振り返ればそんなことはないはずなのだ。私だってそれなりに地獄みたいな家庭からこの足で逃げ出してきた自負はある。ただ喉元過ぎればなんとやら、性格上終わってしまうと突然どうでもよくなってしまうタイプの行為者なので、怒鳴り声も、泣き声も、包丁も、暗闇も、寒いバス停も、折れたヒールも、早朝のイートインスペースも、今思うと大した経験ではなかったかもなと吞気に再確認してしまうのだ。死ぬことさえ避けられればなんとかなると思って生きている。それなのにこの生に対して「ああ生き永らえてしまった」と愛しく思う夜もある。よわい33、特に頑張ってもいないのに、何に対しても緊張をしなくなった。特に努力もしていないはずなのに、ちゃっかりまともな社会人の面をかぶっている。カウンセラーに言われた「あなたは努力を努力と受け取る機能が麻痺している。あなたは大変な努力をしてきたのに無自覚だ」という言葉はいまだに他人事だ。

 しかしだからか、だからこそ、自分の人生を動かそうとして「私はここにいます」と言い始めてやっと、温故を知新する過程で抱えねばならない恐怖――失敗したり自分に失望したりしたくないという我儘な願望ゆえの挑戦への恐怖――が、今、ひどく重い。これが努力か。これが責任か。自分の人生に対する孤独な努力と重い責任か。なるほど早くから努力によってこの恐怖と向き合ってきた人は、そりゃあ責任感ある立派な大人になるわけだ。私はようやく今それを感じている。つまり今になってやっと人並みの努力をし、挑戦をして恐怖を感じ、責任を背負おうとしている。こうなりたい、こう思っている、こうやって生きたい、だから挙手して名乗って存在を示す。腕を宙に掲げる瞬間、肌に感じるのは興奮した熱か? それとも氷点下の冷気か? 私は後者だ。手を挙げたこと自体を後悔することはきっとないという期待だけが、私を支えている。周囲が冷えていても血みどろになって這いつくばる姿はかっこいい。ようやくそれができている。ようやく自分の人生の主導権を掴みかけている。

 全く干渉し合わないはずの別世界での個別の事象が、なんらかの偶然で同じ瞬間に爆発する。シャンプーが底をついてスコスコと情けない音を出すのと同時に、箱ティッシュが軽くなって最後の三枚くらいが一緒に出てくる。人生ってそんな秒針だ。

書店でジャケ買いした本が結構な確率で内容も好みなのって不思議体験

【本のジャケ買い】 装丁のみの印象で本を購入するさま(@bluesky

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