一度どこかで喋ってみたいなーと思っていたことをつらつら書こうと思うのだけど、インターネットでは前からオープンにしているとおり、私は現在she/theyのプロナウンを使っているバイセクシュアルだ。
she/theyを名乗っているのは、この私という全霊が完全に女性に分類されることに違和感があって、かといってheを使うのはまた違うという断固たる思いがあって、ノンバイナリーとして扱われると安心感がある、でもladiesと呼ばれると私もそこに含まれていると直感的に受け取る瞬間もある、という、なんか若干左脚に体重かけて立ってるのが楽だな、みたいなそんな状態だから。何かしらの性別回答欄では毎回「その他」を選ぶし、「その他」がないときに仕方なく「女性」を選択するのにはかなりの抵抗感がある(そのたび毎度「その他」の選択肢を用意しろと提供元にメッセージを送る)。出生時に割り当てられた性は女性だが、ここ最近トラシャツで胸を潰して生活していて、これがかなり生きた心地がする。胸に膨らみがない生活、自分のブラジャーに触れない生活って最高だ。女性器に愛着は感じている、でも胸オペは結構マジでしたい。正直に言うと男性器が欲しいと思う瞬間にぶち当たることもある。運動は、対外的には健康のためにジムに通っていますと話しているが、本音はメンズ服が似合うようになりたいという目的でしている。が、男とも女とも分類しないでくれと叫びたくなる日もある。……こう書いていると私は一体何なんだと途方に暮れそうになるので、意識的に思考をずらす。
ちなみに現在の外見でいうと髪はベリショでうなじは刈り上げていて、ファッションでパンツ以外を履くことはないけれど、性表現としては女性だと思う。実際、人には疑問なくシス女性だと思われている。メイクはするけど、しっかりするのは遊ぶときだけ。オフィスでは眉毛を描くだけでファンデもやめた。アイラインを引かなくて済むからまつエクをしている。爪が長くて綺麗なDIVA感が好きなのでネイルもしている。ヒールは普通に痛いし履いても気分が上がらなくなったので全部捨てた。スカートもフリルも一枚も持っていない。胡坐が楽。声は低い(かつてはこの声をコンプレックスに思っていたけど、今は大好き)。次に冠婚葬祭などフォーマルな場があったら絶対にパンツを選ぶと思う。そんな曖昧な今の私自身に、まあ一定満足はしているしそれなりに楽しんでもいる。
バイのほうの自称は、「女性だとこういう人に惹かれる」「男性だとこう」という恋愛的及び性愛的な惹かれを女性と男性という区分に基づいて言語化できるということと、私自身のこれまでの経験として、シス女性またはシス男性としか交際も性的な行為もしたことがないから、そう言っている状態でしかない。これに関しては、かなりパンセク寄りだとは自覚している。今のところは「この人は女性だ」「この人は男性だ」という認識が前提にあった上での恋愛的及び性愛的惹かれなので、バイを名乗っている。男性だと目がパッチリめで笑顔が可愛い感じの外見の人に目がいくことが多くて、そこにトキシックマスキュリニティから脱している言動や雰囲気があると「おや」と思う。女性だと一重の人に非常に弱くて、今まで好きになった女性もヨジャドルの推しもみんな一重。賢くてものをはっきり言う女性が好き。男性相手だと肩に色気を感じるけど(これには多分羨望もちょっと混ざっていると思う)、女性は腹。
私、ずっと前から、自分がタチ側になりたいときとネコ側になりたいときとで性自認と性表現が若干動いている自覚があって、だからこそ余計にshe/theyが心地良いのかなと考えたりもしている。実際、以前フェムネコの女の子と付き合っていた頃はかなり男性表象的だったし、その子に合わせて自認も振る舞いも移動していた感じがあった。相手が女性であろうと男性であろうと、その誰かに惹かれた瞬間にゆるい性の移動が自分の中で起きる。つまり男性性を持つ「抱きたい」バージョンの私と、女性性を持つ「抱かれたい」バージョンの私がどちらもこの一人の私の中で共存していて、相手によって切り替わってどっちかが出てくるみたいなイメージ。バイにも色々な人がいると思うけど、私の場合はそんな感覚だ。私が抱きたいと思う男性もいれば、抱かれたい女性もいるし、逆も、そのまた逆も然り。相手になり得る両性と自分が移動し得る両性とで、四種類の形があるような感じ。それがここ数年の私のバイ感(バイ感?)だ。
と自覚しながらも、これってヘテロノーマティビティな認識が色濃く刷り込まれたままだよなあと、自己批判的に思ったりもする。でも女性性を表現するのは女性に限ったことではないし、男性性もそう。ただ現在の私の場合は性自認と性的指向が若干連動している部分があるかもなと思っていて、それを今回つらつらと書いたのでした。「かわいいと言われたかったのだっけ」を書いてから随分経った。セクシュアリティは当然に日々変化するもので、流動的で、生命だなあと思う。
最後に、前述した内容に深く関わるものなのだけど、誰にも言えない近頃の悩みを書き残す。シス男性であるパートナーと二人で出かけるときなどの私は、意識的に女性的な格好をしがちなのだけど、これに最近どうしても違和感と(自分への)嫌悪感を抱いてしまう。もっと言うと、女性的な格好をしないとシスヘテロ男性であるパートナーの気を害するのではないかと考えてしまって、自分で自分を抑圧して勝手に苦しくなっている。もし今後、私がさらに男性的な性表現をするようになったり、完全にsheのプロナウンを使わなくなったりしたとしても、パートナーである彼は受け入れてくれると思う(ちなみにバイであることはカムア済)。でも私にはまだ勇気が出ない。私はかなり自分勝手で自分本位な性格をしているのに、彼のことだけはどうしても傷つけたくないという強い思いがあって、本心から望むように生きることが多分、今、できていない。今日はまだそれでも大丈夫だ。でもいつまで大丈夫だろうか。私はどう変化して、流れていくのだろうか。