私が生まれたと聞いた街に立つ。

伝承でしかないのは自分では全く覚えていないからだ。母いわく、私は生まれてから2歳くらいまで札幌に住んでいたらしい。関東生まれ関東育ちの母がなぜその時期に北海道にいたのか理由は知らないが、おおよそ元夫が道民だったのだろう。離婚を機に私を連れて関東に戻って来て、後に私の義理の父になる男に出会ったのだと想像はつく。……いずれにせよ私は札幌で誕生したらしい。出生時に割り当てられた性別は女だったが、ものの分別がつかない赤ん坊の私には、性の別などさっぱりだったはずだ。
二度目に北海道の地を踏んだのは小学生の頃だ。10歳。学校で募集していた何かのプロジェクトに参加する形で、一週間ほど北海道に滞在して、オホーツク海で見られる海洋生物の生態系を学んだり、流氷の仕組みを解説してもらったり、皆でカレーを作ったりバンガローに宿泊したりした。いくつかの学校から参加者が集められていたので、知らない子もたくさんいた。各学校からの参加者がごちゃ混ぜになった5、6人のグループで基本的に行動することになっていたが、当時の私は男子のように見える風貌の女子児童だったため、他学校の女の子たちからいじめられていた。短期間の企画だった上に、同じ学校から参加した子達は私が仲間外れにされていようと何も気にせず接してくれたから良かったものの、顔を合わせるたび「男子なの? 女子なの?」とゲロを吐く仕草をされた経験は普通にちゃんときつかった。
そして三度目。32歳。私はまた自分の性について揺れている状態で北海道の地に立った。ヘンテコな偶然もあるものだ。札幌にいる時はいつも、自分が女なのか男なのか何なのかわからない。
今回は仕事の用事があっての出張で、そんなに色々見てまわることはできないスケジュールだった。国内線だからと油断してギリギリの時間に搭乗ゲートをくぐった。札幌駅前は絶賛工事中で、到着しても「うわあ、札幌だー!」みたいな高揚感は薄かった。関東の灼熱地獄が嘘のように過ごしやすい。なんなら夜は肌寒い。

すぐに白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)へ行き、主に国立アイヌ民族博物館をじっくり見た。14時半頃に着いたが閉館の18時までいても全然見終わらなかった。本州に住む者として同化政策という名の暴力のことを知っておかねばという気持ちと、アイヌ文化への興味と、少数民族に寄り添いたい気持ちが動機だった。せっかく北海道へ来たのだ。あらゆる人に「北海道に行くならほにゃららを食べるといいよ」と百万回言われたが、グルメよりアイヌのことに触れたい、知りたいという感情のほうが圧倒的に大きかった。
初日の夜、自分の母子手帳を手渡される夢を見た。夢の中の私は「予防接種の情報わかんなくて困ってたからちょうど良かった!」と喜んでいた。自分が打ってきた予防接種がわからないから母子手帳が見たいなと思っているのは現実のことだが、あれはいま実家にあるので私はおそらくもう一生確認できない(実家の人々とはまるっと絶縁したので)。それで、朝起きて、そういえばと思って母子手帳に書いてあった産婦人科の名前をマップに打ち込んでみたら、ホテルから割と近くに赤いピンが刺さった。特徴的な名前の病院だったから覚えていたのだ。
私が生まれたと聞いた病院の前に立つ。風が強い。仕事を片付けたあとに地下鉄と徒歩で向かったそこは、駅前や大通公園周辺とは打って変わって静かな街並みで、すれ違う人もまばらだった。
私はここで何を感じたかったのだろう。何を知りたくて、何に出会いたくてここへ来たのだろう。想像より小さかった白い建物を見上げて、わけもなく狐に包まれたような気分になる。32年前、おそらく私はこの建物の中で生まれ、母に抱き上げられ、そこに父がいたのかどうかは知る由もないが、この名前で呼ばれて祝福された。母はよく、連れ子だった私を抱えて「ママがあなたを守るからね」と私に語りかけたという雨の日の話をしてくれた。覚えているはずもないその日の光景が、私の頭の中にはある。母の話を聞いて勝手に作り上げた第三者目線の記憶だ。赤ん坊の私と、買い物袋二つを抱えて、雨の日の駐車場に私を落としてしまい、慌てて抱え上げたというその日。「ママがあなたを守るからね」という言葉は、一体何から私を守りたかったというのだろう。なぜ、買い物袋を持ってくれたり、せめて傘をさしてくれたりする誰かがそこにいなかったのだろう。
父のことは何も知らない。「コンピューターゲームに夢中になって浪費ばかりしていた人だった」という母の言葉をそのまま暗記している情報しか、私の手元にはない。あとは名字。ずっと、血の繋がった父に対してはこれっぽっちも関心はないと自覚していた。でも最近、どんな人だったのかくらいは知りたいかもしれないという微妙な思いが芽生えてきた。それは、年齢を重ねるたびに自分の手が母の手に似てきて、でも顔つきは全然似ていなくて、そんな風に大人になった自分を認識するうちに経てきた、ルーツを恋しく思う変化ゆえだと思う。父は札幌にいるのだろうか。いや、いたとしたら、何なんだ?
滞在最終日、さっぽろレインボープライドへ行った。東京のは何度か行ったことがあるものの、他の都市の催しは初めて訪れた。道路をゆうに塞ぐカラフルな人数がパレード待ちをしている横を、私はシスヘテロですよみたいな顔をして通り過ぎた。チカチカ振られるレインボーフラッグが目に染みる。私には、まだ無理だ、と思った。この地で、ひとりでその列に加わる勇気はなかった。あるいは誰かクィアな仲間が一緒にいたら混ざれただろうか、あそこにいる皆みたいにああやって弾ける笑顔で虹色になれただろうか。そんなことを惨めに考えながら、黒シャツ黒パンツ黒サングラスで足早に通り抜ける。せめてブースをじっくり見たいと思って近付いていくと、どこかの出展者に「あ」と声をかけられた。「今、女性を対象に、生理前についてのうんたらかんたらをやっているんです。もし良ければこのあと云々」と、私の目を見て言っている。
私はここに何を期待していたのだろう。どう扱われたくて、どう振る舞いたくてここへ来たのだろう。わからない。女性だと判断されてがっかりしてうんざりしている自分と、まだ女性に見えるんだと安心している自分が同時に存在していた。北海道にいても、関東にいても、どこにいてもいつも自分が女なのか男なのか何なのかわからない。そして偉そうにも、レインボープライドの場にあっても人の性別を見た目で判断するのか、それが罷り通るのかと思い、怖くもなった。無理だと思って、マスクの下で「無理だ」と呟いてその場を去った。虚しかった。差し出されたチラシを見ることすらできなかった。
滞在中の夜は、毎晩違うバーに飲みに行った。ひとりで現地のバーに行くのは私の旅行の醍醐味だ。カウンターでぼーっとできたバーもあったし、隣にいた知らない人と会話を楽しめた夜もあった、北海道についての豆知識をたくさん教えてくれたバーテンダーもいた。いずれも全然酔えなかった。ウイスキーもカクテルもテキーラもどれも素晴らしく美味しくて、強めにしてくださいとオーダーもしたのに酔えなかった。人の笑い声や話し声が反響するすすきのを歩き、歯の間に挟まったブルーチーズの感覚を舌の先で押しながらホテルへ帰った。こんなに酔いたいと思った夜はこれまでなかった。

あらゆる可能世界はすでに存在している。つまり、2歳でこの街を去った私と、10歳、32歳で再びこの地に立った私は、同時に存在する。この30年間、私は私の中の時間をちゃんと生きられたのだろうか。この世にはわからないことが多すぎる。羽田空港に着いてやっと、ああ良い旅だった。と思った。あと関東は暑すぎる。