アミでいることがしんどい

加藤み子
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公開:2024/6/19

 暴力を肯定したくない。だから元ジャニーズを避け、吉本興業を避け、スタバは飲まずマックは食べず、その他にも日頃から「この人はだめだ」「この会社はだめだ」と感じれば迷わず離れる。それなのに今、ARMYをやめない自家撞着に引き裂かれそうでずっと温度がない。大虐殺を声高に支持する人間を重役に置いたまま、ファンらの抗議の声を聞こえぬふりして突き進む事務所に、私の好きなグループは所属しているが、長らく言ってきた「事務所を批判しながら推しを応援することはできる」の言論を自分自身が疑い始めている。資本主義はとことん良くない。推しを応援することで事務所に金が入る構図がある限り、推しを応援する行為は自分にとって背信行為であり続ける。

 自覚があるうえで自分の善に反することをやるということが私はすごく辛い。私は猛烈なホビペンなので、ホソクさんさえいなければ、ホソクさんさえいなければあんな事務所とっとと離れてアミもやめられているかもしれないと思うと、自分が何に執着しているのかすらわからなくなってくる。チョン・バビの件からずっとこうだ。この件をきっかけにアミをやめた人を山ほど知っているので、やめられなかった私は「私の善はこんなものだったのか」とまんまと落ち込んだ。3Dのときもそう。今もそうだ。この人達が表現するものを見ていたいという究極に個人的な欲望のために、今日も自分の善を裏切り続けている。

 近頃しんどい理由がもうひとつある。

 兵役に関するニュースや周囲の反応を見ていてずっと違和感が拭えなくて、そのあたりもとても苦しい。皆、あまりにも軽すぎないか。兵役というものに対する態度が。私は生まれたときから徴兵制の敷かれていない社会で育ってしまったので、転役のなにが「おめでとう」なのか肌感覚ではわからない。ずっと距離のある他人だと思っているから「おかえり」にもピンとこない。転役しても兵士になったことは変わらず、有事の際は招集される、終戦していないし全然終わりじゃないのに終わったみたいな雰囲気があって気持ちが悪い。韓国に住む方々、つまり生まれた時から兵役の制度があってそれを受け入れなければ生活していけない方々と、異国で徴兵制が(現時点では)ない私達とで、この制度の扱い方や温度感が同じだったり似ていたりしてはいけないのではないか。

 推しが射撃のやり方を学んだり手榴弾の扱い方を知ったりして戦争の方法を身につけた、または今まさに身につけているという事実に、私はいちいち傷付いている。恐怖を感じる。助教になった、兵長になったという知らせにこぞってお祝いの言葉が並んでいたときも、私にはどうしても何がどうめでたいのか全然わからなかった。戦争が上手になっておめでとう? 与えられた環境の中でベストを尽くそうとする姿勢が素晴らしいのは理解できる。リーダーシップを発揮する姿が凜々しいのもわかる。でもそれらは全て軍隊での話だ。兵役中に亡くなった方のニュースも読んだ。そして今、パレスチナでは子どもがどんどん殺されている。

 しかもこの制度が憲法と法に定められた義務であること、国家権力によって国民の人生が強制的に変えられてしまうこと、そして、私達日本人は韓国でこの制度が現在も温存されていることの理由に多大な関係と影響力を持っていることを考えると、自分の中でぐるぐるしているグロテスクな色のとぐろに苦しくなる。ホソクさんの入隊の知らせを見てまず「ああ間に合わなかった」と思った。文大統領の頃、岸田首相が朝鮮戦争終戦宣言案を突っぱねたことを鮮明に覚えている。ホソクさんの入隊直前最後のWライブは見られたもんじゃなかった。

 半ば受動的にアミになってしまったが、今は能動的にアミでいる。しがみついている。目を覚まそうとする自分をもう一人の自分が殴って眠らせているよう。もうちょっと眠ってなよ、ホソクさんが転役したらもしかしたらフリーパレスチナと言ってくれるかもしれないよ?! とか、明日にはパン議長が我に返ってくれるかも! とか、今まさに事務所を移籍する相談とかしてるかも? 云々、健全ではない形の期待をおそらく持っている。目を覚ましてもそれでもホソクさんから離れられなかったらどうするのだろう。虐殺に加担していると知りながら推しにお金を払うのか? また「私の善はこんなものだったのか」と自分が嫌になりながら?

 私の善に近いものを七人が歌っていたから好きになった。デビュー前に選挙の歌を作ったりファンの声を受けてフェミニズムを学んだり、権力や規範に堂々と楯突いたり、資本主義や格差社会に中指を立てたり、平和を唱えて平等を叫んで社会的弱者に手を差し伸べて民主主義の歴史を語り継ぐ姿勢、性の揺らぎを愛してトキシック・マスキュリニティを否定して、ダメなものには包まずダメと言っていいこと、まっすぐな愛情表現や涙は恥でもかっこ悪いことでもなんでもないこと。「ON」のステージが終わったとたん地面に倒れ込む姿を見て、大衆音楽にこんなに命を懸ける人達がいるのかと衝撃を受けた。あの日以降、何度「あなたたちを好きでいることを誇らしいと思わせてくれてありがとう」と思ったことか。今は思えない。