わたしも私がわからない

加藤み子
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 自己崩壊と自己保存。ヤングケアラーはケアする相手に接するためにこの両者の行き来を頻繁に行なうという。自己を他者に対してどこまでも開示して消滅させ、自己犠牲という形でケア対象と一体化しようとする、しかしそれでは社会を生きてはいけないから、家族への苦い感情を持って自己を保存しようとする。この繰り返しだと。

中村佑子『わたしが誰かわからない』が置かれた部屋の写真

 一時期、仕事でヤングケアラーの問題に触れる機会があって、私は自分の生い立ちから勝手に彼らを理解したような気になって共感していた。しかし中村佑子『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』を読んで、その認識を恥じた。私が易々と共感できるようなことではなかった。この本に出会い、ヤングケアラーや日本の精神科医療の世界を知るとともに、自分自身の内面についても再認識するきっかけとなった。どうしても私自身の境遇と比較しながら読んでしまったことを許してほしい。

 私は過干渉で支配欲の強い精神的にも身体的にも暴力的な親の元で育ったから、自己崩壊と自己保存というバランスを自身に当てはめると、「親に勝手に自己崩壊されていくから自分で必死に自己保存をしようとしてきた」と言っていい。ゆえに自己崩壊にともなう感情は恐怖なので、筆者の言うような自己を開くこと・自己から脱出することや無になることへの羨望や快感はなく、むしろ恐怖である。そして私にとって自己保存は砦。家族からの暴力を否定し、なんとか社会を生きていくための防御である。自分を消滅させて自己を外界へ開かせるなんて、私には恐ろしくてたまらない。外界と繋がりたい欲望はあっても、私という輪郭を溶かすことなど、まるで敵陣の中に丸腰で突っ込んでいくような無謀さと恐ろしさがある。

母を思うと自分の境界は溶け出し、痛みを自分も一緒に感じようとしてしまう。

※以下、引用文は全て中村佑子『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』から。

 私は父を思うと自分の境界にできるだけ厚い壁を作り出そうとし、彼の感情や思考に触れることへの恐怖に震える。この家族への姿勢の違いは何だろうか。筆者や本書に登場するヤングケアラー当事者の方々は、みんな家族への愛情が深いことが印象的だった。

美しい姉への思慕と、殺したいという感情はまったく並列に同居できる。(略)「世界でいちばん憎くて、世界でいちばん愛している人」

 思えば、親の傍にいた頃の私にはまだこの愛情があったかもしれない。それが殴られた後の「お前が大事なんだよ」だろうと、それが命令に従った結果の成功への褒め言葉だろうと、あたたかいものを感じられれば確かに嬉しかった。包丁を構えて殺そうとしたくせに踏み止まったのは、殺したいという感情の暴走を止める他の感情があったからだ。家父長制の犠牲者である母への同情も、思えば愛情にかなり近い。しかし、絶縁後も問題なく暮らせている(むしろ絶縁後のほうが幸せを感じられている)私と、遠く離されても愛を持って相手の幸せを願っている人とでは、決定的になにかが違う。ケアすることで育まれる感情が愛なのか。親のケアをせざるを得なかった方々が、それを搾取とだけ受け取らないのはなぜだろう。

 筆者は、「私」から脱出して無になることへの羨望を抱いていた。私は、「私」を「私」の中に閉じ込める輪郭線をなくしてしまいたいと考えたことなど一度だってなかった。私の自我の輪郭は可動性の強いものではなく、侵入しようとされ続けてきた脆い強がりの錆びた檻のようなもので、その檻の中には確固たる「私」が存在していると信じたい一心だ。「私」を「私」の中に閉じ込める輪郭線は防御壁だから、動いたりなくなったりしてもらっては困るものだ。自我があると信じたい。親の願望を押し付けられて親の言う理想の娘像を重ねられてきたけれど、私は私という唯一の個体であり、私にも独立した芯が存在していると信じたいのだ。

 ひとりだと思い知らされたときに私が感じるのは安心だ。筆者は、ひとりで死を迎える覚悟を身につけていった先にひとりであることを思い知らされると、落胆すると表現していた。ちょうどこの前の記事にも書いたが、死ぬ瞬間は誰でも絶対にひとりなんだという理解、または実感は、私にどうしようもない安心感をもたらす。絶対に誰にも干渉されない私だけの死、私という輪郭の中が絶対的に守られる安心感。孤独の甘美。

 ヤングケアラーの一つの特徴は、自分の願望や欲望よりも先に病気の家族の願望を優先してしまい、しまいに自分が何を求めているのかわからなくなるということである、と常日頃思っているからだ。

 抑圧的な親に育てられた子の場合、自分が何を求めているのかわからなくなるという結果は同じだが、そこまでの過程が違う。親の自分への願望を優先してしまうから、自分の本心がわからない。親の親自身のための願望ではなく、親の子への願望を先に考えてしまうのだ。そこから物理的には抜け出した今、私は、自分にも自分だけのユニークな願望がきっとあるのだと信じながら生きている。

 私も、わたしが誰かわからない。私にも列記とした個があって、私特有の願望とか感情とかが非連続的に存在して、それが私という確固たる個体の証明になる、そう信じてはいるものの、いつも確信がない。誰かに許されないと動けない気がする。この選択も私のものではない気がする。いつもわからない。

 結局、健全なバウンダリーは重要だと思う。過度な共振や依存は危険だ。何度も「同意」と書き込んだ本だが、今の私には、最後の三段落がよく理解できないことを記録しておきたい。いつか変わるかもしれないから。

 最後にこれだけは書いておきたい。私は「親ガチャ」「毒親」という言葉に救われた。筆者や本書に登場する数人は自身を「ヤングケアラー」という言葉で類型化されることに戸惑いや違和感を覚えている。言葉で一括りにすると個々の差異や背景の違いが無視されてしまうという懸念はわかるし、私もこのライトな言葉での括りと、言葉だけが急に躍り出て一人歩きしている様子には危機感を覚えている。しかし、「親ガチャ」「毒親」という言葉に出会った私の場合、私のような境遇の子が他にもいたんだ、私のこれはカテゴライズされるほど"社会的な現象"だったんだ、そしておかしいのは私ではなかったんだと思えた瞬間の、あの胸をなで下ろす安堵を無下にされたくはない。「親ガチャ」「毒親」という言葉を否定されると、圧迫されるように胸が苦しい。早く毒親から逃げたほうがいいなんて人には言わない。そんなケアあなたのためにならないなんて絶対に言えない。だけど、私が親を毒親と呼んで心から恨むことを許してほしい。そうしないと私は私を生きていけない。

「親が好きでないと、そんなに社会に怒らないと思う」

 個人的に実感しているのは「親が好きだから社会に怒る」というより、「社会が機能不全だと思うから怒っている」のであって、親を好きか嫌いかはさほど関係なく、社会は敵ではない。筆者は敵と表現していたが、敵と認識しているから刃向かっているのではない。なんとかよりよくして私の親のような存在を生まない姿になってもらって、それで一緒に生きていきたいから、それで私のような子が後世に生まれないようにしたいから、社会に怒っている。これも敵意だと言われたら少し悲しい。

 しかし私の場合、家父長制から直結した暴力に晒されていたから、フェミニズムを学んですぐ、怒りの矛先が家族から社会へと向いたということもある。多くのヤングケアラーの場合は、そうはいかない。冒頭で書いたように、勝手に似た境遇だと思い込んで勝手に理解した気になっていたことを深く反省している。こういった本に出会えるから読書はかけがえない。迷いながらもここまで真摯に向き合いここまで綿密に書き抜いた筆者と、この時代のこのタイミングでこの本を出版した発行元を尊敬する。何度も読み返すだろう。