階上の住人は亡くなっていた

ku
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休みが明けて数日、子どもが学校から帰宅すると「お母さん、外パトカー来てるよ」というので驚いた。寝室の窓から駐車場を覗くとパトカーの他に2台の車が停まっていた。

階上がうるさかったのは子どもが帰宅する2時間くらい前だった。買い物を終えて遅い昼ごはんを済ませていたら天井から何人もの大人の男の声が聞こえた。住人は50代後半一人暮らし。4年前に奥様とお嬢さんだけ関西の方へ引っ越し住人は一人暮らしだった。

「引っ越しかしら」そんなふうに思っていた。近所付き合いがほとんどなかったからだ。会えば挨拶する程度。ただ、同じ間取りですぐ上に住んでいたというだけだ。

パトカーが去っていき、夫にLINEを入れて「何かあったみたいだけど救急車とか来てないから、もしかして空き巣なのかな」「まさかこんな古い集合住宅で」「でも空き巣じゃなかったら他に何かある?」

テキストでそんな会話をしてから20日間が過ぎた日、夫が職場の会議で階上の住民の死を知りスマホ越しにこう言った。「○○さん、亡くなったらしいよ」

パトカーのきたあの日から階上の住人の車が動いている様子がなかった。そして夜が静かだった。静かなのは珍しいので私は「やっぱり体調を崩して入院とかしてるんだわきっと」と思っていた。でも亡くなっていたのだった。

夫はあっさりしていて帰宅後も私の動揺に理解を示さなかった。子どもは「えっ、じゃあ死体が上にあったってことか」「怖い」と言った。

私は生活の全てが階上の住人の視線と同調したような気分になり、ベランダからの景色も、窓を開けたときの空気の動きも、息を吸うことすらつらかった。

住人がこの世と別れたときの世界がすぐ階上にあること、それが私に死の予行練習をさせるかのようだった。秋の空がさらに私を寂しくさせた。階上の住人は何を思ってこの空を見ていたんだろう。

お子さんは大学生か社会人数年目くらいだろうと思う。うちの子が2歳の時の小学6年生だった記憶がある。家族と離れて暮らす数年間どんなことを考えて生きていたのだろう。今年の春先に自動車で事故を起こしGWに奥様とお嬢さんがこちらに来ていたらしい。もしかしたら離婚しているのかなと思っていたので、夫にそれを聞いた時はほっとした。

住人は繊細だけれど誠実できちんとした方だったように思う。お若い頃は華々しい経歴でネットでお名前を検索したら年齢は50代後半ではなく60歳ぴったりだった。60年の人生でここ数年は一番寂しい暮らしだったのではないかと思うと切ない気持ちになった。

とりあえず定期テストを終えて解放感に浸る子どもがあれこれ喋ってうるさいのでここまで