ゴールデンウィークも終わりに近づいてきた。独立している身なので連休といっても特別感はないのだが、5月初頭というのは何かと考える時期だったりする。思えば、1年前は独立するか否か迷いはじめた時期だった。そんな時期を思い出しながら、独立後1年でやってきた仕事を振り返ってみると、実に多種多様なお仕事に携わってきたことを実感した。簡単に列挙するとこんな感じだ。
ソフトウェア製品へのAI導入支援(コンサルティング)
人事データ分析プロジェクト支援(コンサルティング)
人事データ分析実務支援(データサイエンティスト)
DX研修講師(メンター)
Webサイトリニューアル支援(コンサルティング)
AIフィージビリティ調査(コンサルティング)
こう並べてみるとコンサルティングが多いように感じるが、件数とボリュームでいうと人事データ分析実務支援が半分以上を占めていた。つまりは、アナリスト的な仕事が中心だったとも言える。
こうなってくると、自分の肩書きをどうするか少々悩んでくる。場面によって呼ばれ方や紹介のされ方も違っていて、コンサルタントと呼ばれることもあれば、データサイエンティスト、データアナリストと呼ばれることもあった。
自分としては呼び名よりも中身が大切と思いつつ、初対面の人に自己紹介をするときには肩書きは重要な気がする。自分のやっていることを一言で語る必要があるからだ。
独立した当初から現在に至るまで、「デジタル経営コンサルタント」と名乗っている。しかし、クライアントからそのような呼称で認知されているかどうかはわからない。コンサルタントというよりもエンジニアorアナリスト的な専門性に期待されていると感じる場面も多いし、その一方で、業務的にはコンサルティング寄りの仕事ももちろんある。
保有資格的に「ITコーディネータ」と名乗ることもできるのだが、そうなると広過ぎる感じもする。
理想的には、ビジネスとIT・データの間に立って、ビジネスをより良い状態に導く仕事をしていきたいと考えている。そして、データ分析や機械学習技術を専門性の軸において、データ活用のホワイトスペースに挑んでいきたい。人事データの活用はその最たるものだ。人事以外のホワイトスペースも一つ見つけて勉強をはじめたところだ。
ホワイトスペースにはチャンスがあるが、その一方でいろいろと整っていないのできれいに分業はできない。だからこそ自分の仕事も多岐にわたっているのだろう。
しかし、何でもできますという人には仕事は来ない。もちろん、何でもできるわけでもない。自分にできることは専門性を土台に、クライアントの話に丁寧に耳を傾け、課題を整理し、伴走しながらともに成長していくことだ。この仕事をなんと呼べば良いのだろうか。
こんなふうに連休中は悩んでいたところなのだが、ふと「これは前に経験したことがあるな」と思った。
それはSE時代の話。当時、私は業務ソフトウェア製品の開発SEとして開発に勤しんでいた。しかし開発SEといっても設計やプログラミングをするだけではなく、製品に対するニーズを整理して要件に落としたり、投資回収計画を立てたりしながら開発チームのマネジメントをしていた。現代でいうプロダクト・マネジャーである。
また、製品の売り出し時期だったので、積極的にプリセールスを仕掛けていった。見込み顧客向けに製品を紹介してディスカッションをするプロモーションから、調達フェーズでのガチ提案まで。これは現代でいうところのプリセールスである。
ということで、この仕事を一言でいうと、プロダクトマネジャー兼プリセールスということになるのだが、当時はそのような呼称は国内で定着していなかった。もちろん、社内にもそういった職種はなかったので人事システム上の表記はSEあるいはアプリケーションエンジニアだったのだが、どうにも違和感があった。なぜなら当時SEというとSIのエンジニアを意味していたからだ。社内外含め、自分の仕事を説明するのに難儀した記憶がある。
自分の仕事はプロダクトマネジャーに近いのでは?と気づいたのは、「プロダクトマネジャーの教科書」という本を読んだときだった。しかし、その本の内容は自動車や消費財をターゲットとしていたので、やはりITにはないのかなと思っていた。実際、当時の転職エージェントに聞いてみても、出てこなかった。
SEからデータサイエンティストに転じた後に「世界で闘うプロダクトマネジャーになるための本」を読んでようやくIT分野のプロダクトマネジャー職というものを公式に認識した。これを読んで「自分がやっていたことだな」と思ったからだ。
もうひとつ、先ほど「データサイエンティストに転身した」と書いたが、これも現代の言葉で言い換えたというのが正しい。データ分析分野に転じたときの職種は「研究者」だった。データ分析技術の応用研究を行うラボの研究員、というのが正確なポジションだったのだが、どう見ても他部署のガリゴリ研究部とは様子が異なっていて、クライアントを持った仕事をしていた。今で言うところのデータ分析チームである。
「データサイエンティスト」という言葉や「AIエンジニア」なる職種が登場するのは、異動した後の話である。言葉が定着するまでは自分の仕事を説明するのがなかなか難しかった。おそらく両親や家族には未だに正確に伝えられていないだろう。
こんなふうに思い出してみると、いつもネームのない仕事をしてきたようにも感じられる。それは舗装されていない道路、つまりけもの道を走るようなもので、決して楽ではなかったけれど自分にとってはとても楽しい時間だ。
舗装された道路は走りやすいかもしれないが、制約も多くなるし乗り込んでくる車も多くなる。一方、けもの道にはわかりやすい標識もルールブックもないが、自分で創意工夫しながら学べるチャンスがある。自分が求めているのはそういうことなのかもしれない。
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ということで、わかりやすい肩書きのない仕事を今もやっているわけですが、とはいえ正体不明の人物では困るのでちょっと考えて見たいと思います。