独立について #13 独立の自由と代償

くに
·

以下の投稿のように、独立すると時間的にある程度の自由が手に入る。それをどう活用するかは人それぞれ。私の場合は、私生活では快適性に、仕事では関心の追求に活用している。

では、独立の自由にはどのような代償があるのだろう?

仕事に対する責任

第一には、仕事を取ってきて遂行する責任はすべて自分ひとりにある、ということだろう。それは会社で求められるアカウンタビリティとも、専門家に求められるプロフェッショナリズムとも少し違う気がする。

その昔、プロダクトマネジャーをやっていたとき、大きなプレッシャーを感じながら、プリセールスから開発機能の選別、クレーム対応判断を行っていた。この時、製品の成功は自分の肩に乗っていると思い、かなり力をいれてやっていたのだが、そのときの感覚とも違う気がする。

例えば事務所のサイトデザインをどうするか、どのような設備に投資するか、どのようなサービスメニューを作るか、目の前の契約書に署名するかどうかなど、「自分事業」の行く末に係る判断を一人で行わなくてはならない。仮に誰かに相談したとしても、その結果は自分が背負わなくてはならないのだ。

自分を律すること

第二には、仕事・生活を含めて自由であるがゆえに、自分を律する必要があること。

これは当たり前といえば当たり前なのだが、真っ白なスケジュールを黙って眺めていても何も起きないことを理解するには、少し時間がかかる。そして、健康面を含めて律しなくてはならない。また、学ぶことやリスキリングもそのスコープに入る。実に広い。

会社員時代、歳を重ねるごとに、スケジューリングが受け身になっていく感覚があった。とにかくスケジューラーに会議のインビテーションが入ってくるので、自分固有のタスクは隙間時間でやることになる。これに慣れてしまうと、OutlookだかTeamsに駆動されることが当たり前になってしまい、様々なタスクに反応的に対応する傾向にあった。これをインビテーションドリブン仕事術という。

しかし、独立すると、あるいは退職前になるとこれが一変する。見るべきスケジューラーには何も予定がないのだ。はじめは自由だ!と思うかもしれないが、その内やることが無くなってぼんやりとしてくる。そして、その状態に恐怖を感じ始めるのだが、そこで自分の事業と向き合って形を作ることが必要なのだ。

ということで、早期退職に申し込んでから、インビテーションドリブン仕事術に慣れ切った身体を洗浄すべく、アクションを書き出して自分で予定を入れたり、手を動かすことを増やしたりした。その過程で手帳やノートといったアナログなツールも役に立った。

孤独

最後の代償は、孤独ということだろう。これは、藤原和博さんの本に書いてあったことだったのだが、その実態は独立するまで分からなかった。

単に仕事で話す人が減って寂しいというのではなく、様々な判断を一人で行うことが求められる。求められるといっても、誰かが「やって」というのでなく、問いそのものを作りださねばならない。

また、何か自分でアクションを起こしたとしても、すぐさま望む反応が得られるわけではない。事務所のWebページを作ったとしても、太平洋のど真ん中で叫んでいるようなもの。会社員時代とは何もかもが違うのである。

これらの孤独感に耐えられるかどうか。あるいは、それを活かせるかどうかが独立へのリトマス試験紙になるだろう。

デカルトに学ぶ

この記事を書きながら幾度となく頭に浮かんだのは、デカルトの方法序説だった。方法序説は哲学的側面だけでなく、デカルト自身の自伝的な処世術も載っていて、老子と並んでしばしば読み返す古典の一つ。

独立の孤独に少し通じる部分があったので引用してみる。

 

たくさんの部品を寄せ集めて作り、いろいろな親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度が見られない。(デカルト 方法序説 第二部)

技術コンサルタントとしてユニークさを発揮し、それを価値に変えるためには孤独という状態が必要なのかもしれない。クライアントやパートナーと協働しつつも、自分自身を磨き続けなければあっという間に不要な人になってしまうのだろう。しかし、それは学び続けることが価値につながるわけで、ワクワクすることでもある。

 

わたしがその時までに受け入れ信じてきた諸見解すべてにたいしては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ、と。後になって、ほかのもっとよい見解を改めて取り入れ、前と同じものでも理性の基礎に照らして正しくしてから取り入れるためである。(デカルト 方法序説 第二部)

これは過去に所属してきた会社の中での成功体験をリセットすることに通じると思う。新しいステージや戦場には新しい作戦が必要。それだけでなく、異動や転職のようにオンボーディングのヒントとなる同僚や上司もいないのだ。

 

わたしの第三の格率は、運命よりもむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分欲望を変えるように、つねに務めることだった。そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。(デカルト 方法序説 第三部)

こちらの「格率(=自分ルール)」には文脈がある。デカルトが新しい哲学を構想しているときに、人として生活をしていかなければならない点に触れて、社会とどのように接していくべきかを論じたものだ。独立して理想を目指しつつも、社会の一員として誠実に生きる。まさに近江商人の言う「三方良し」だ。

ということで、これからも三方良しを目指していきたい。

つづく

@ku2t
独立日誌をしずかに書きます。ku2t-lab.com