子供ではなくなったとき

kubosho
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「現実に何かしら傷ついて、開き直ったり折り合いをつけたりする時、子どもはたぶん子どもではなくなります。」

という、後藤邑子さんが書いた私は元気です 病める時も健やかなる時も腐る時もイキる時も泣いた時も病める時も。という本の中にあった一文を見て、自分がのほほんと生きていた時代から、傷つき折り合いをつけ始めたのはいつだろうと考えたときに思いついたのは、高校3年生のときに金銭的な事情で大学や専門学校に行けず、就職するしか道がないことを知ったときだった。

あのときの自分は周りが大学や専門学校に行くのを見て、なんとなく自分もそっちの道へ行けるのだろうなと思っていた。

しかし現実はそうでもなく、金銭的な都合でこれ以上の進学はできないということが分かった。当時は奨学金があるのを知らなかったので、自分は新聞配達をやりながら学校に通うことしか知らずに「そんなことができるのか?」「いや今までの自分の経験からして無理だと思う」と考え、結果として就職を選んだ。

いま思うとあの当時は傷ついていたのかどうなのかは分からない。今から考えると傷ついていたとは思う。ただその当時は明確に考え方が変わった。少なくともインターネット上でイキるようなことはしなくなった。

また実際会社に入社したときも、それまでの環境と変わったことにショックは受けず新しい環境を受け入れていた。大人になったという意味では周りが2歳上(専門学校卒)か4歳上(大学の学部卒)がほとんどという環境だったのも関係していそう。

その2年後に精神を病んで退職し、Web業界へ進むことになったのはまた別の話。

@kubosho
ものづくり大好きパーソン。アイコンは飼い猫のルナです。