73 名前を与えるということ

鯨日記
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しばらく「ラヴィット!」を観られていない。寝惚けたまま病院に電話をして予約を取った。外発的に布団から起きる要因を作る。外発的に歯磨きを行い、外発的に服を選び、外発的に外に出る。一昨日の雪はきれいさっぱり街から溶けていた。街の下に張り巡らされた用水路が雪解け水でパンパンになっている様子を想像する。道端の脇には泥が混ざった僅かな残雪のみがあった。自分の体のメンテを怠っていたツケがぜんぶ今回ってきていて、すべてにガタがきている。癖の強い先生はきっとGoogleレビューで悪く書かれがちな人なんだろうなと思った。でもわたしは変な先生が好きなので、だから話をしながら先生の名言を頭の中に書き留めていた。「行動と感情は別です」「私たちは病気を“作って”います」「治るものではない。慣れるということが大事です」「例えば1億円の借金があるとします」etc...。メガネの硝子の向こう、鋭い眼光を上目遣いにして「次の予約はいつにしますか」と聞かれ、ギャップでくらくらした。◆自動ドアを抜けて、自転車にキーを差し込み、自分の症状に名前が宛てがわれた、と思った。名前を与える/られるという行為は安心感を伴う。私たち(少なくとも私)は、未分類のものに対して恐怖感を覚える。知らないものを怖いと思う。自分の知っている領域に引きずり込み、ラベルの貼られた書類ケースの中へ分類したいと思う。だから太古の人間は花や鳥や星に名前をつけた。そしてその行為が何百年も繰り返されている。自分の名前を名乗ることで相手に敵意がないことを伝える。子どもやペットやぬいぐるみや他者との関係性に名前を付与し「あなたを愛している」ということを婉曲的に伝える。あなたはシリウス、わたしはカサブランカ。◆薬局のカウンターには飴が置いてあって、レモン味の飴をいっこ手に取る。小さなおばちゃんが2人で回している薬局だった。物腰が柔らかで、客層も穏やかだった。処方箋をカウンターに置いたおじいちゃんが「ちょっと外出てくる。スーパーや」と鼻歌を歌いながら姿を消した。壁に付けられたテレビからは耳障りで大袈裟なレポーターの声がした。薬を受け取り、インドカレー屋に入る。仕事の欠席連絡をしてナンをちぎる。PayPayで支払うと店主は両手のひらを綺麗に合わせて「ありがとう」と言った。◆直近で三つの病院に行けた。残りは歯医者に行ったら病院グランドスラムの達成なのだけれど、最後の壁はやはり高い。四大大会の最後の試合。わたしは今までの試合を一つ一つ丁寧に思い出そうとする。スタジアムの熱気。拍手と歓声。ベンチの映像がバックスペースのテレビに映し出される。ノバク・ジョコビッチは静かにストレッチ・フォームに入っている。2024.2.7