職場の人とポケモンの話になって「パッチールが好き。強火じゃないけど」に「でもその熱量は中火くらいですよ」と返事をしたら笑ってくれた。相手が職場の上司じゃなくて後輩とか友人やインターネットの人だったら「とろ火」という表現に変えていただろう。言葉の響きの違い。相手によって微妙に言葉を使い分けていることに気づく。この人にはここまでの言葉が通用するだろう、という嫌らしい値踏み。どこまで他者と言語を共有し合えているか◆気に入った曲を見つけると繰り返し聴く。今はTaeyoung Boyの『Ain't nothing』をずっとループしている。先日大学方面に向かう時に当時のプレイリストをひらいて久しぶりに聴いた曲だった。どうやって出会ったのかも、この歌手の他の曲も知らない。スペルすら怪しい。でもサビのリズムと彼のフロウに加え、フィーチャリングのFriday Night Plansの声が心地好い。印象的に繰り返されるフレーズ「Let me give you more pain, Let me give you more rain」はpain(痛み)とrain(雨)で韻を踏んでいる。すべての痛みは雨に代替可能である、という意訳を思いつく。雨の日は嫌いじゃない。それは鬱屈とした自分の気持ちを代弁してくれたような気持ちになるからだと最近気づいた。きっかけは一通のダイレクト・メッセージで、その人は私の日記を読んで自分の感情を雨の日のようだと喩えてくれた。わたしたちが怪我をするのはなにも物理的にだけじゃない。心の傷を受けた時、一種の逃避行為として、モラトリアムの遅延行為としてそれを物理的な傷に転換しようとする人もいる。わたしにとってそれは過食だった。でもそれが雨でも代換え可能なら、わたしたちの痛みには少しでも価値があるのではないか。Pay money To my Pain(直訳:私の痛みに金を払う)というバンドに出会ったのは中学の頃で、当時はそのバンド名も歌詞も意味がわからなかった。金を払うほどの価値ある痛み。同バンドには『Rain』という曲もある。なにかの偶然だろうか◆『Ain't nothing』にはもうひとつ「We're way too good at sayin' goodbye」と繰り返される印象的なフレーズがある。私たちは別れを告げるのがいささか上手すぎる。別れと聞くと私はいつも井伏鱒二の詩を思い出す。「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ。」綺麗な花も嵐が吹けば散ってしまう。すべてはさよならに収斂していく。傷つくための春がもうそこまで来ている。2024.2.28
酔い潰れたり面倒がって翌日になって昨日のことを書くことが多い
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