傘を捨てた。いつも使う駅のホームにあるゴミ箱の脇に白のバケツが置かれていて「不要な傘はこちら」というプラ・カードが貼られている。傘は失くすものであって捨てることなんて滅多にないから、いつもちらりと横目に見て改札に急ぐだけだった。でもわたしは今日、あそこに傘を入れた。「2-3 ○○」というシールが柄には貼られている。小学二年生時の所属と、マイネームで母に書いてもらった名前。何故か捨てられなくて今日まで来てしまった。「卒アル?捨てましたよ」と何でも捨てる職場の人の話を最近聞いて、引越しの断捨離にスイッチをパチンと入れた。今朝スニーカーを二足捨てて、勢いで傘をビジネス・バッグに入れた。購入当時は綺麗な青色だったのだろう、傘は幾分煤けて青というよりもネイビー・グレーだった◆「ちょっといいですか」と職場の人に呼び止められる。職場では一番歳の近い三歳程歳上の人だった。仕事の内容なので様々な詳細は割愛するが、素行が悪い同僚について話をする前ぶりでその人は声を潜めていたから、わたしは体を屈ませて耳を寄せた。「○○さんから話があって、色々事情もわかったんですけど、○○さんはシロでした」。一緒に聞いていたもう一人と目を合わせて思わず笑ってしまう。シロかクロかだなんて、まるでなにか事件があってその犯人を探しているような、そんな言い方を声を潜めて真面目に伝えられたその状況がおかしかった。でもわたしはその人がその件に関しては悪い人だと思っていたから「いや、でも○○さんは限りなく白に近いグレーだと思いますけどね」と言った。もう一人も「グレー寄りの白だ」とわたしの意見に賛同する。一通りその話を終えて自席に戻り、さっきの自分の発言が村上龍の小説のタイトルをなぞっていたことに誰も気づいてくれなかったことに、わたし自身の面倒な性格を自覚する。わたしが捨てたあの傘は昔は綺麗な青色だった。さらにその昔は透明だったのだろうか。脊椎がオパールになるくらい途方もない昔、あの傘は透明だった。限りなく青に近いグレー。限りなく白に近いグレー。限りなく透明に近い、ブルー。2024.2.16
酔い潰れたり面倒がって翌日になって昨日のことを書くことが多い
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