108 一人で行ったよあのあと

鯨日記
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朝。九時に起きて病院に電話を掛け、昨日予約していたのに行くのを完全に失念していたことを謝り、11時半からの予約を再度取り付ける。その通院の後、家の近くの定食屋に行った。二年間の仕事の行き帰り、毎日前を通っていた。いい匂いがして、前付き合っていた彼女と行こう行こうと話をしていた場所だった。でもいざ彼女と行こうとするといつもその店は決まって休みで、結局行けずじまいのまま彼女とは別れ、明後日私はこの街から引っ越す。クリニックから出るとちょうど店の開店時間で、今日しかないと思った。暖簾をくぐる。メニューは2種類、定食とカレー。定食でいい?ご飯普通?とおばちゃんが聞きに来てくれる。壁に掛かった時計は「約15分早い」と張り紙がされていて、腕時計と照らし合わせるとその通りだった。張り紙を貼る労力と時計の針を巻き戻す労力を天秤にかけ、張り紙を選んだのだと思うとおかしかった。仲良しそうなおば様たちが三人厨房できりきり舞いしていた。私の他には二組の客がいるのみで、忙しそうにしているのは絶対時計を早めているからだと思った。店の窓から外を眺めるとタワーマンションがこちらを睥睨している。「孫も懐かない」という隣の客の噂話を聞くともなく耳に入れていると小鉢が目の前に並べられる。厨房の奥にいるおばちゃんはひと仕事終えた様子で病院に電話を掛けている。苦手なプチトマトをえいやっと口に放ると種が水の中に飛んだ、きれいな放物線だった。後から来た客のおばあちゃんが飾られていた薔薇をほめ、店員のおばちゃんがそうでしょ、強い花なの、と答えていた。一人で黙々と食べた。おいしいね、と口に出す相手も、トマトあげるよ、と言える相手もいなかった。強い薔薇だけがこちらを見つめていた。ごちそうさまでした美味しかったですと一息で伝え勘定をして外に出ると気持ち悪いくらいの晴れで、dodoとKID FRESINOを聴いて、無印良品で新居に迎える棚の目星をつけ、仕事へと向かった。2024.3.14