猫が好きだ。でも猫は私の事が嫌いだ。猫に限らず動物に好かれない。近所の野良猫のことを一匹も漏れず全員愛しているのに彼女たちは私を視認した瞬間に逃げる。かわいいお顔より逃げるお尻を見ている時間の方が長い。動物に懐かれるという経験をしたことがない。それでも時々はお情けとばかりに優しくしてくれる子もいて、今日会った子もその一匹だった。動物病院の飼育ケースにその猫はいて、でも患者と言うよりかはそこの飼い猫のように見えた。私のことを目で追っていたから立ち止まって見つめていたら、ケース越しに頬をむにむにと擦り寄らせてきて、その場をくるくると回り出した。そして驚くべきことにその子は手を伸ばしてきたのだった。柵の間から肉球が伸びてきて、でも私はその光景を外から見ていたからその手に触れることはできなかった。私は周囲に誰もいないことをいいことに「ええ〜〜〜〜〜????」と甲高い声を出してしまった。通報案件だと思う。夢かと思った。忌み嫌われ続けていると思っていた猫という生き物が、あろうことか私に手を伸ばしてきたのだった。歴史的な瞬間だった。私が高校二年生の時に有力者を差し置き生徒会長に当選した夜、友人が「トランプが大統領になるくらいすごい」とLINEを送ってきたことを思い出した。それくらいすごい◆手を伸ばすという行為はその対象に触れたい、ということに他ならない。私は触りたくないものには手を伸ばさない。トマトやゴーヤ、レバー。でも好きな物には手を伸ばす。好きな相手にしか手は伸ばさないという私の考えが間違っていないとすると、あの子は私のことが好きだった、というのは自分で言っていて論理が飛躍しすぎているので言い換えると、私に興味があったのだと思う。それがもう堪らなく嬉しかった。仕事中なのに疲れは感じなくなった。 あの手に触れたかった。猫に違わず、誰かの手に触れるという行為が互いの同意の元行われた時、疲労や悩みというのはその瞬間消えてなくなる。たとえその一瞬だとしても、その多幸感は何にも代えがたい。この前どうしてもしんどい時目の前にいた友人に「五分でいいから手を握っていてほしい」と頼み事をした。友人は「いいよ」と言って理由も聞かず私の手を握り返してくれた。その時のことを短歌にしようと何回か試みてみたが、未だに自分の中で納得のいく歌は詠めていない◆退職まで残り4日。カウントダウンの音が聞こえる。2024.3.11
酔い潰れたり面倒がって翌日になって昨日のことを書くことが多い
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