149 あるきしぇーばーおとこ

鯨日記
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花が枯れた。毎晩丁寧に水を替え可愛がっていた。燃えるゴミに捨てて良いのか逡巡し、結局茎をふたつに折って入れた。花って燃えるゴミでいいんだろうか。使い終えた綿棒を放ると花びらに当たり「てと」と間の抜けた音がした◆今朝は小雨が降っていて、わたしはトイレのために一度途中下車をしたからやや遅刻気味になり職場までの道を小走りで移動していた。その時、横で「ブゥーン」と羽虫が耳元で飛ぶような音がした。音の方を振り返ると、一人のサラリーマンが髭を電動シェーバーで剃りながら歩いていた。電動シェーバー? 雨の中だった。彼はビニール傘を左手できちんと差し、もう片方の手で器用にシェーバーを操作していた。わたしは思わず凝視してしまった。歩きながら剃るくらいだから余程朝に時間がなかったのだろう。でもそれならばなぜ、それほど余裕綽々に駅までの道を闊歩できるのだろう。彼の横顔をちらりと見た限り、彼に焦りの色は全く見受けられなかった。歩きながらパンを食べるような気軽さで彼は髭を沿っていた。彼は家の鏡の前で髭を剃ってから少し走るより、傘を差しながらでも歩いて髭を剃る方を選んだのだ。その一種のアンバランスさに思いを馳せるとおかしくて(これは日記に書こう)と、彼とすれ違ったあと、走りながらスマートフォンのメモの日記フォルダを開いて「あるきしぇーばーおとこ」とタイプした◆雨は夜も断続的に振り続けていた。家の脇に用水路があるのか、雨が降った日は水の流れる音が窓を閉め切っていても絶えず聞こえ、だから部屋の電気を消して目を瞑るとそれは川のせせらぎになってわたしを睡眠の海に連れていってくれる。カシやナラ、ケヤキを材料とした木製ボートのフレーム部分を枕にして寝そべり、小川を下流に向けてゆっくりと流れていく様を想像する。脇にある静かな森が風で揺れてボートもそれに呼応するように微かに揺れる。葉の擦れる心地よい音が今にも聞こえてくる◆日々に忙殺されている、といったら大仰だがこれを機にとTwitter(新X)をアンインストールしてみた。どうせ長くは続かないと思いつつも、たとえば週末だけはインストールするといった風に上手なデジタル・デトックスができたらいいと思っている。今は日々の仕事と大切な友人たち、少量の酒と煙草、それに続きが気になって仕方がない小説(掛け値なしの傑作の予感が既にある)が手元にあるから充分に満たされている。それでも日記は誰かに届けばいいと思いながら書いていて、だから昨日の日記の感想が送られてきたことに、何故だか新鮮な感慨があった。今日も誰かが読んでくれていたらいいなと切に願ってみて、でも日記なんて誰に読まれるために書かれるわけでもなかろうと気づいている。そんな自己矛盾を抱えながら精一杯自分を曝け出して今日も日記を書く。2024.4.24