4 心拍数と音楽と横断歩道

鯨日記
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 昨日と同じ人だ、と電車に乗った時に気づいた。昨日電車に乗った時、前に座っていた人が今朝も前に座っていた。別にいつも乗客の顔を見ている訳ではない。ただ昨日目の前に座った女の人がスマートフォンの画面を見つめながら口元に笑みを浮かべていて、それがなんとなく頭の片隅に印象として残っていた。昨日の日記にも書きそびれるほどの記憶のささくれのようなもの。昨日と同じ時間、同じ号車。今日はマスクをしていたから確信はないけれどきっと同じ人で、目の前の生活も何も知らない他者と自分が同じルーティーンを有していることがどこか不思議に思えた。その人は今から大学に行くのかもしれないし、通院に行くのかもしれない。ただひとつわかることはわたしの生活とはかけ離れているということだけだった。「この時間のこの列車に、このホームドアから乗る」というルーティーンだけが、その人とわたしの人生の唯一確認できる交差であり共通点だった。その交差点が多ければ多い人ほどそれらの人を「友人」「同僚」「恋人」「家族」とカテゴライズしていくのなら、目の前の人とわたしの交差はたったひとつで、目の前にいるひとりの人間との途方もない距離のことを思った。

 社用車を一人で運転している時に防災行政無線から童謡のピアノ・メロディが流れる。急に人生にBGMがついたのかと思った。目的地に早く着いたからコイン・パーキングの一区画の中でこの日記を書いている。暗い車内でナビの車載モニターだけが明るい。◆今日の夜は残業で疲れ果てていて、最寄り駅のロータリー、駅に到着した誰かの送迎のために停車しているヘッドライトの列をみただけで鬱屈とした気分になる。塾に通っていた中学生の頃、雨の日に親の車で来て帰っていく友人を横目に歩いて帰るような虚しさを思い出す。いつだって自分がいちばん可哀そうな思い出だけが可愛く映る。缶ビールを二杯飲んで水曜日のダウンタウンを見て大笑いしている。アポロチョコレートを手のひらに出して食べた。ちいかわをあまり知らない友人にモモンガの業(カルマ)について説明した。うさぎがやっぱりいちばん可愛い。いつも通る道の途中にスクランブル交差点がある。斜めに横断する時、イヤホンから流れる音楽のボリュームが少し上がる気分。それはまるで悪いことをしているみたいだからで、わたしの心拍数と音楽と横断歩道。2023.11.29