92 カービィ食い

鯨日記
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昼に炊いた二合の米がなくなったということは、私は一食につき一合食べている計算になる。そんな生活を二年続けている。よく噛んだりはしない。何に急かされている訳でもないのに、かっこむように、飲み込むように食べるそれは友人に「カービィ食い」と形容される。カービィ食いの弱点は噛まないという点にある。満腹中枢が刺激されないため何合食べたとてお腹いっぱいにはならず、何か別のものをつまんで酒を一気に飲み、煙草を何本か吸い「満足」というよりも「納得」という形で一回の食事を終える。気が済んだ、に感覚は近い。一種のセルフネグレクトのような、自分の体を杜撰に扱う行為。カービィ食いというキュートな名前とは裏腹に行為はその実感を伴わない。ところでカービィとかちいかわってキュートアグレッション(可愛いものに対する攻撃的、嗜虐的な衝動)を引き起こしますよね。そんな話はどうでもいいか。カービィ食いが起こる条件というものがある。それは疲れている時。今日みたいに仕事でぼろぼろになった身体に何かを流し込みたいと思う。それが身体に有害であればあるほど心地よい。瞬間の快楽。酒も煙草もできなかった時、この不快感を何で洗い流していたんだろう、もう思い出せない。友人と酒を飲んでいる時などにカービィが顔を出すことはほぼなく、例えば友人と酒を飲んだ夜、最寄り駅に一人着いた瞬間にカービィは目を覚ます。気がついたらわたしは牛丼屋に行き牛丼並を吸い込んでいる。「鯨飲馬食」という言葉もある。鯨のようにたくさん飲み、馬のようにたくさん食べる。言葉の由来は中国の詩人、杜甫の歌からの引用だと一説にはされている。わたしはカービィのように飲み、カービィのように食べる。カービィ飲カービィ食。身体に悪いのは承知している。でも今はまだ、このままでいたい。2024.2.27

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