フリーダイヤルの電話。出てみると機械音声の女性の声。切ろうとしたら「鯨(本名)さんですか?」飛び上がる心臓。人間だった。鯨です。引越しの件で。ああ。エポスカード云々。ああはい。はい。わかりました◆電話を出た時私はちょうど改札に向けて残り数メートルというところで、立ち止まるのもよろしくない。相槌のインターバルを縫ってモバイルSuicaを素早く翳す。シュッ。すぐに耳に当てる。「……ということになります」とポップな機械音声の女性が言う。聞き取れなかったけれど多分大丈夫だろう。お礼を言って切る◆仕事中に煙草が吸いたくなったけれど煙草、ライター、携帯灰皿のすべてをキッチンの換気扇下に置いてきたことを思い出す。買いに行くか迷った末に買った。携帯灰皿は130円程度と安価で、スイスのアイデンティティであるアルプス山脈を連想させる山がデザインされていた。緑と迷ったけれど青を買って良かった。雪が積もる標高4000mの山の裾に灰を落とす◆仕事の帰りにホームに上がると次の列車まで10分で、エレベーター・シャフトの裏で三十代くらいのカップルがずっとキスをしていた。ほんとうにずっと。わたしは彼らの横にあるベンチに座りたかったが断念せざるを得なかった。シャフトはガラス張りだったのでどの角度からでもそのキスを見ることができて、わたしは仕事で疲れていたので二・三分に一度、顔を上げてはそのキスを眺め、早く電車が来ることを祈った。やがて電車が来る。少し離れた乗車口から座席に座り一息つくと、そのカップルが同じ号車に乗り込んで来、まさに目の前で先程の続きを始めようとした。わたしは疲れた体に鞭を打ち、さすがに明るいところでは彼らの熱烈なキスを見たくなかったので席を立った。今はその車窓を見ながらこの日記を書いている。わたしは彼らに2度、座席を明け渡したことになる。2戦2敗、完敗だった◆週明けは雪が降るらしい。アルプス山脈を見上げるエーデルワイスやリンドウにも雪は積もっているのだろうか。2024.2.2
酔い潰れたり面倒がって翌日になって昨日のことを書くことが多い
X: @kujuranosenaka