23日金曜日と24日土曜日の日記が抜けてしまった。この連休を使いわたしは大学のある山梨に行っていた。頭の中を整理するためにいくつかのトピックに分けて日記を書く。トピックは3つ。家庭教師、友人、サークルについて。
2/23◆家庭教師について/大学四年生の頃に家庭教師をしていたご家族に年に一度のペースで会いに行っている。初めて会った頃から二年が経過し、小学六年生と高校一年生に彼らは成長していた。六年生と一緒にスマブラをした。ドンキーコングに投げ飛ばされたりカービィのハンマーでブン殴ったりした。ほぼ互角だった。手加減をしてくれていたのかもしれない。ロールケーキを一緒に食べた。テーブルの上を走るてんとう虫をお父さんが生きたまま捕まえ、ロールケーキの入っていたプラスチック・パックの中に入れ、話の続きをした。わたしはてんとう虫の行方を目で置いながら曖昧な相槌を打っていた。子どもたちとスイカゲームをやっているとお母さんが呼びに来て、家族とファミレスで夕飯を共にした。六年生の子は初めてしっかり将来の夢を口にした。わたしと同じ職種だった。襟を正す思いがした。二人に誕生日プレゼントを渡し別れた後「(六年生の方は)もっと話したかったそうです」とお母さんからLINEが来た。わたしが想像していたよりもずっと早くあの二人は大人になっていた。
2/23-24◆友人について/学生の頃所属していたサークルの懇親会(追いコン)への参加が山梨に向かう主目的だった。ただ家庭教師の家族にも会いたかったのでその前日に行き、その日は大学院に進学したためまだその町に残っていた友人の部屋に泊めてもらった。雨が雪に変わった。わたしたちは散歩をした。ファミレスに入りドリンクバーとチーズケーキとポテトフライを注文し話をした。お互いの病気の話、将来の話、恋人の話。学生の頃に多大な迷惑を掛けた話。信じられないくらいの迷惑をかけたのに友人は笑っていた。ちょうどその頃私と同じく前日に山梨入りしていた別の友人からカラオケの誘いの連絡が入り、友人は先に部屋に戻ってもらいカラオケに合流した。部屋に入ると酩酊した4人の後輩がいた。ドレスコーズの「愛に気をつけてね」とフラワーカンパニーズの「深夜高速」。仲の良い後輩のカップルの双方から別々に酒を足に掛けられ、わたしも判断能力が低下していたのでそのまま踊り子とソラニンを歌っていた。誰もまともではなかった。人数の追加を申告していなかったことをキッチリ怒られ、勘定を払う。お代は要らないと後輩に伝えると「お金ないってこの前言ってた❗️」と22歳の子に詰められるみっともない24歳。それぞれの帰路につく。みんな酔っていて、走ったり笑ったり蹴りあったりしながら歩いた。夜中一時、深夜高速を口ずさみながら友人の家までの近道である大学構内を歩く。帰ると友人はちょうど髪を乾かし終わったところで、修学旅行の夜みたいにぽつりぽつりと話をしながらわたしたちは眠った。わたしは高校の修学旅行でもいの一番に眠る生徒だったと言うと「容易に想像ができる」と言われた。隣の部屋にAdoが住んでいるというので耳を澄ますと確かにAdoを歌っていた。七時のアラームで私が先に起きた。友人は「えいっ」と二回くらい言ってから起きた。カーシェアで友人をアルバイト先まで送る。何百回と自分の車で通った道。富士山が綺麗に澄んで見えた。銭湯に行って髪と体を洗い、車の中でメイクをした。
2/24◆サークルについて/この温度感を日記で、文字で伝えるのは難しい。わたしは立場で言うとOBで、サークルでOBなんて本当に一番邪魔な存在だと現役生の頃は思っていたので極力懇親会では目立たないように心掛けていた。直接関わりのない代も多く出席すると聞いていたから尚更萎縮していた。「こんな歳上がいてごめんなさい」と早口で何度か口にした。でも思いのほか後輩ちゃんたちは私のことを覚えていてくれていて声をかけてくれた。「元気でしたか?今何してるんですか」「一緒に鍋パしましたよね」「鯨さんですか!髪長くなってたから一瞬誰かと思いましたよ」。これで気を良くした鯨に拍車をかけるようにビンゴ大会で三位という要らない豪運を発揮。景品の紹介で良質なティーパックを「海苔ですかね」と言い放ち最悪の目立ち方をしてしまう。それでもサークルの雰囲気は本当に温かく、初対面の子たちも優しく迎え入れてくれた。たくさん写真を撮った。後輩の企画に全力になって取り組み、笑い、何故か少し泣きそうにもなった。二次会で現役生とOBOGたちで分かれる時、わたしは何故か酔いがピークになり「幸せになって欲しい」と全員に半ば祈るように言った。初対面の19歳の男の子とまた会おうと約束をした。後輩たちと抱き合い「どうかこれからの未来に何も不幸なことが起こらないで欲しい」と意味不明なことを口走った。「パパですか?」と言われる始末だった。はた迷惑なOBだった。自分の大好きなサークルが、鬱屈としていたあの日々にそれでも生きていたいと思わせてくれたサークルが、今も最高の形で最高の後輩たちのおかげで繋がっている、紡がれている、そのことに感極まったのだった。同じことを帰りの車でOBOGチームに熱弁すると「いつもの鯨だ、そのモード久しぶりに見た」と冷静にいなされた。中央自動車道の後方に街灯とさっきまでいたわたしたちの町があっという間に流れて消えていく、のを、後部座席から眺めていた。2024.2.23-24