1 1000万円の車

鯨日記
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 バスを乗り継いでイオンタウンに行った。バスはいつも酔う。酔い醒ましに入ったコーヒー・ショップに1時間くらいいた。バナナパフェと水出しコーヒー。パフェの写真を撮った。誰にも見せることのない記録としての写真を撮ることで自分はSNSと距離を保てていると安心していたかった。KALDIで見つけたクリスマス仕様のお菓子詰め合わせを買った。帰りのバスの後部座席で揺られながらイルミネーションの電飾が絡みつけられた並木道を薄目で見る。バスを降りると冬だった。わたしはトイレが近いから街のトイレの場所を熟知しているつもりだったが、あまり行かない駅前だったから脳内のトイレ・レーダーが反応しなくて、休憩しているバスの運転手が小走りでパチンコ脇の小扉に入っていく所を見て「ピーン」ときて付いて行ったらトイレがあった。運転手と肩を並べて用を足した。

 乗り継いで2つ目のバス。流れる景色の途中、暗闇の中で光る自動販売機の横にガールズ・バーかなにかの客引きの女の人が立っていた。短いスカートはあまりにも寒そうだった。女の人は時折あくびをして、目の前を通り過ぎる人たちに声を掛ける素振りもなくただ車の往来を眺めているように見えた。◆日曜日の氷点下に近づく駅前の夜、「お前はあの自動販売機の横に立って客引きをしろ」と更衣室の前の細くて薄暗いバック・ルームで40代の冴えない店長が言う。店内は香水とアルコールのきつい臭い。外に一歩出ると凍えるほど寒くて店長への悪態がつい口をついて出る。更衣室に戻ってベンチコートを取りに戻ろうかと逡巡するがまた店長に話しかけられるのもダルくてそのまま公道沿いを歩く。飲食店の喧騒。昔の思い出。自動販売機の脇に立つと時折「ヴーーン」という唸り声が聞こえる。通り過ぎる男に声を掛けるのも面倒でただ行き交う車をぼんやり見る。反対車線で右折してきたバスの後方、乗っていた男と一瞬目が合った気がするがわからない。その間を図体の大きな車が通り過ぎる。知らない車だと思った。◆ベンツのゲレンデだ、と思った。中古でも1000万はすると聞いたことがある。1000万って途方もない。意味がわからない数字だった。ゲレンデの車体に阻まれ、立っていた女の人の姿が見えなくなる。

 家に帰ると不在票が床に落ちている。YouTubeの切り抜きでしか見たことのなかった番組が日曜日のこの時間にやっていることを知る。わたしの部屋はリビングが寒色でそれ以外が暖色の照明だからリビング以外で本を読むことが多い。今は町屋良平「恋の幽霊」が終盤に差し掛かっている。7月に買った本だった。社会人になってから圧倒的に小説を読む量が減って宛て先のない罪悪感がずっとある。◆幼馴染にキャバクラで働いていた子がいる。その子に以前「これ面白いよ」と勧められた手の中に東野圭吾の「変身」があった。その子のイメージとはあまりにかけ離れていて、そのちぐはぐさがとても嬉しくて吹き出してしまった気がする。その行為を永遠のままにしたかったから数年経った今もまだ読めていない。会う度に「まだ読んでねーのかよ。早く読めよ」と言われるがなかなか読めない。◆自動販売機の横に立っていたあの人はどんな小説に触れてきたんだろう。ゲレンデが目の前を通り過ぎる。その人が着ていた衣装は雪みたいな白色だった。2023.11.26

@kujuranosenaka
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