52 雨が降り光が曇る午後の部屋あれはいつのことだっただろう

鯨日記
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「黒って2色あって」とベストを着た美容師がまっすぐ鏡越しの私の目を見て言った。アンミカの亜種を見つけた。午前10時の美容室。いつも行くところの予約が取れなくて、どうしても今週に髪を染めなければならず、知らない美容室の椅子の上に私は座っていた。でもわたしには数少ない才能のひとつとして「自らに合う美容室を探すのが得意」というのがあり、初対面だったけれど美容師さんの話はとても面白かった。決して愛想笑いはせず、ほんとうにおかしいと思った時だけ目を細めて笑う恰幅のいいおじさんだった。「(自分は)模範的なライダーではない。言い方を変えるとするなら、違法改造をしているからね」という話をした時わたしは笑ってしまった。初対面なのに。おじさんは違法改造したハーレー・ダビッドソンに乗り、わたしの長髪にも深い理解を示してくれた。自らも長髪であったこと、伸ばすことになったきっかけの話もしてくれた。何故切ったかは忘れてしまったと話した。服装は美容師というよりはむしろ古風な理容師といった感じで、ヘア・クリップをボタンベストの間に差し込むようにとめていた。マスクの向こうにはもったりとした髭があるのだろうかと想像していた。視界が揺れるほど強く肩をマッサージしてくれ、帰り際は上着をほいよと寄越してくれて、外まで見送ってくれた。街にある気に入りの美容院が二つになってしまった。引越しをしようとしていたのに。でもしょうがない。こういう運命だった。神様のボートに乗らなければならなかった。仕事を終えて部屋に戻る。冷凍食品をご飯に乗せて食べる。もうメチャメチャにおいしくて、じんわりと元気が出た。大切な人間以外、今は誰とも会いたくなどなかった。2024.1.16

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