母親と会った。行きたい場所があるから一緒に行ってくれへん?と週の半ば程に電話があって、わたしは三連休初日、眠い目をこすりながら知らない駅のコンコースにひとりで待っていた。母と外で会うのは久しぶりだった。郊外の大きな公園に行って、齢二十四にしてこの世を去った詩人・建築家が設計した週末住宅を見に行った。母はいたく興奮し、中にいたガイドよりも熱く詳しく、いかにその建築物と詩人が美しいものだったかをわたしに語った。ひとしきり建築物の中を眺め、手触りを確かめ、窓を開閉し、その詩人に思いを馳せた。あんたも気に入ると思ってん、という母の思惑通り、気がついたらわたしもポスト・カードを買っていた。その後は二人で公園をゆっくり歩いた。「冬の公園って好きよ」と母が言った。母は時々まるで嘘みたいに小説のような台詞をなぞり、戯曲のような行動をとる。生き様が詩人そのものなのだが、当の母親はそのことにあまり気づいていない。「さっきいたおじさん、川端康成に顔が似とったね」「切り株の穴に小人住んでそうやない?」「狐の絵本借りたら物失くすんよ。狐やからかな」「(アルビノの鳩を見て)あらあんた美人さんやなあ」等。脇にどかされた雪の塊目掛けて駆け寄り「ほらあんたも踏みいや。ワクワクするわあ」とはしゃいでいた。あたたかい木のベンチに腰掛けて持参してきた詩集の中から好きな箇所を朗読してきたときはちょっとウンザリした。ほらここええやろお、と母は自慢げに話した。詩は読み方が難しいから苦手やと言うと「詩は心で読むもんよ」と事も無げに言った。公園の木々には「これなんの木?」というプラカードが括り付けられていて、つまみを開くと中にその木の名前が書いてあるというものだったが、母はそれに触れる前に「これはプラタナスやな」「クスノキちゃう?」「サクラかなあ」とすべて言い当てていた。幼少期の頃わたしと姉は母を辞書代わりにしていたことを思い出す。「国語の先生になったら良かったなあ」と木の肌を触りながら呟く母に「今からでもなれば良い」と言った。空は高く澄み渡り、薄いうろこ雲が風で流されていた。母から借りた詩集をパラパラと眺めていると、島崎藤村の文章が目に入る。「われわれはあまりに黙読になれすぎた。文章を朗読することは、愛なくてはかなわぬことだ」。母には敵わないと思った◆母と別れた後は東京駅構内にあるトレニアート(鉄道グッズ・ショップ)と八重洲口を出た先にあるポケモンセンタートウキョーDXに行った。東京駅のトイレの個室に入っている時、清掃員のおばちゃんと並んでいる人の会話が聞こえた。「珍しい苗字だから声掛けちゃって。俺京都から来たんです。」今日は三連休初日で、東京駅構内は人で溢れかえっていた。2024.2.10
酔い潰れたり面倒がって翌日になって昨日のことを書くことが多い
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