父は読書家ではないが、私が実家にいた頃は私の本棚から時折本を借りて読んでいた。周囲に本を読む友人が少なかった私は、読書体験を共有できる人間に飢えていた。今でこそインターネットで自由に共有できるが、中高生だった当時はまだそういった匿名の場所に何かを投稿することに若干の恐怖があったのだ。
ある日、父が「この本が面白かったから同じ作家の本が読みたい」と言ってきた。差し出された本は、恩田陸の『ドミノ』だった。そんなことを父に言われるのは初めてだったので嬉しかった半面、これは困ったことになったな、と私は思った。なぜならこの『ドミノ』という本は恩田陸の作品の中ではイレギュラーの部類だったからだ。
『ドミノ』はタイトルの通り、ある些細な出来事がたくさんの登場人物の思惑を経て大きな事件に発展していく、というコメディ作品である。とても愉快で大好きな作品だが、恩田陸をご存知の方なら、この作品が代表的な作風とはちょっと違うことをわかってくれると思う。森見登美彦の言葉を借りるなら、恩田陸は「ノスタルジアの魔術師」なのだから。
私が初めて読んだ恩田陸の作品は、『青に捧げる悪夢』というアンソロジーに収録されていた、『水晶の夜、翡翠の朝』だった。これは『麦の海に沈む果実』という学園ファンタジー小説のサブストーリーなのだが、沼地に建つ西洋の城のような学園と、富豪の子供たちが過ごす退廃的な生活が私の中二心を鷲掴みにした。それから古本屋でいくつか恩田陸の作品を買って読んだ。特に気に入って集めていたのが短編集で、より濃密で不穏で幻想的な世界を味わうのが楽しかった。
ということもあって、本棚にある恩田陸作品は『ドミノ』を除いてどれも幻想小説のようなものしかなかった。私は迷った。『ドミノ』のようなエンタメ小説なら、たとえば伊坂幸太郎とか森見登美彦とか貸せそうな本があった。私は父に、「恩田陸の本は他にもあるけど、これとはちょっと違う感じかも」と言ってみた。それなら似たような本がいい、と言ってほしかったのだ。しかし父は「それでも恩田陸の本が読みたい」と答えた。父は穏やかだが案外譲らないところがあった。それほど『ドミノ』を気に入ったようだった。まだ『蜜蜂と遠雷』は刊行されていなかったし、『夜のピクニック』は図書館で借りて読んだので手元になかった。最終的に私は、私がいちばん好きな短編『かたつむり注意報』が収録された『いのちのパレード』を父に手渡した。
父が次を求めることは今のところまだない。