自殺に憧れていた二十歳のぼくに伝えたいこと

kure
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誰しも若かりし頃は自殺に憧れることがあるものだ。(無いかな?)

自分も20歳くらいの頃は無性に死ぬことばかり考えていた。『完全自殺マニュアル』という本も買って読んでいた。ただし、死ぬというのもなかなか難儀だなと理解して具体的なアクションまでは起こさなかったので、そこまで本気でも無かったようだ。

そうは言っても、若く健康な時分にわざわざ自殺を考えることも無かったと今になっては思う。オランダの元首相が夫婦で安楽死を選んだことがニュースになっていたが、オランダの安楽死の要件に合致するような状況でもなければ、わざわざ死ぬことは無いかなと思う。

その頃の自分に今の自分からメッセージを送るとしたら以下のような内容を送ってみたい。(おそらく若いときの自分は、以下のメッセージを受け取っても年取った自分は腐ってしまっている、やはり今のうちに死んだほうがいいと認識するだろうが)

①わざわざ自殺するほど人生は長くない

20歳のときに想像しているほど人生は長くない。わざわざ急いで死ななくとも、遠からず死ねるから焦って死ぬことはない。完全な死とまでいかなくとも、あと10年もすれば嫌でも「老化」を感ざるをえない。それからは自分が刻々と「死」に向かっていると認識させられる。また、理論的にも生きれば生きるほど同じ1年でも体感時間は短くなっていく。頑張って自殺しなくても、どうせすぐ死ぬ。

②自分の命は遺伝子の船

生命の定義は「自らを複製できること」だ。原子生命には寿命は無かった。ある時、オスメスが生まれ、寿命ができた。遺伝子を混ぜ合わせ子を作り、親は死ぬ。これを繰り返すことが生存戦略として成功した。

生き物という大きな視点でみれば自らの役割は「遺伝子を残して死ぬ」だ。それを考えれば自分自身の命など些末なものだ。自殺を考えるほど、真剣に悩むほどのものではない。

③死ぬのは子供を育ててからでも遅くない

大きな役割として子供を育ててから死ぬのが生き物としては筋である。理屈として理解はしても、自分のことも満足に出来ないのに子供なぞ、と思うだろうが、案外なんとかなるものだ。

そして、子供をつくり、育てると、嫌がおうでも上述の役割を認識せざるをえない。日に日に老い、死に向かっていく自分と、すくすくと成長し、未来があるこども。どちらが生き物として重要かは考えるまでも無い。自分の命など、真剣に自殺を考えるほど、価値のあるものではない。